投稿日: Feb 27, 2012 12:45:53 AM
技術変化が何をもたらしたのかと思う方へ
NHK平清盛の番組予告でオヤと思ったのは、源氏側が滅んだ平家を称えるような視点で作られているみたいだからだ。平家物語といえば栄枯盛衰、盛者必衰、驕れる者も久しからず、の代表であって、日本の今の大企業の没落ぶりと重ね合わせて心理的に受け入れやすくなっているのだろう。一般の経済新聞が企業の業績悪化を中心に報道しているのに対して、過去の栄光にも目を向けてトータルに問う点が面白いと思う。過去の栄華の雰囲気に浸りたいだけでは問題だが、転機を乗り越えなければならないという見方では参考になるのかもしれない。
今日ではあらゆる産業がIT化の課題を抱えていて、IT産業には仕事の機会が山ほどあるのに、某N本電気が大幅なリストラになり株価も100円台という状況になったのは、20年くらい前まで某N本電気が国民PCで市場を占有していた時期を振り返ると、今は調子の良いどんなIT企業も10年先の保障はないと考えざるを得ない。多くの場合に成功の理由と衰退の理由が同じであることがあって、N本電気も社名のとおり日本に特化したPCビジネスというアドバンテージと、日本でしか通用しないITになってしまったことでグローバル時代に対応できないということだろう。
どんなIT企業であろうとも日本でサービスするには日本に特化した要素は必要だろうが、そのために汎用性を失ってしまっては既存市場と運命共同体になってしまうところがマズい。ITというのは市場や文化など現実社会のありようとは全く関係ない科学的な発展をしているものなので、地域や時代を超えて純粋ロジックとして扱わなければならない面がある。これが日本人には苦手なところかもしれない。つまり島国日本人は文化の相対化というのは歴史的にあまり経験がなく、どちらが優れているかと考えがちだが、科学から見ると文化に上下はなく、ロジックの優劣しかない。この差は日本では非常に説明しづらい。
つまり将棋盤や将棋の駒の良し悪しと、将棋の勝ち負けは全然関係なく、コンピュータ将棋が名人に勝つのはロジックの検証がコンピュータの方が上回っているからだが、そこには将棋文化はない。だから将棋の棋士がみなプログラマを目指すことにはならない。ITを経営に活かすことも同様に考えられて、既存の企業文化の中にコンピュータを持ち込もうとする過去からの大企業と、ビジネスに勝つロジックを開発しプログラムによって実現しようという集団は相容れないものがある。それは某N本電気のようなコンピュータの専門家が沢山いる会社でも、ビジネスに勝つロジックはできなかったことからも明らかである。
某N本電気の果たした役割は日本の老若男女にASCIIキーボードを普及させたことにあるのだろう。かつては日本の学校教育にタイピングを入れないと、日本でコンピュータが普及することはないと言われた。キーボードというハードルを乗り越えるために仮名入力や新種キーボードなどがいろいろ開発されたが、国民PCを普及させたことで改めてタイピング教育することなく、どこでもコンピュータが使えるようになった。それはDOSに時代までで、それ以降GUI時代には某N本電気は何も生み出さなかったことを深く反省する必要があるだろう。