投稿日: Dec 19, 2012 2:48:19 AM
点数が増えるほど埋もれるものが増えると思う方へ
2012年のドタバタ劇の代表に緊デジがあった。震災復興事業のこじつけという意味でも疑問はあるが、その背後にある出版デジタル機構の狙いも謎に包まれているため、いろいろな憶測があった。そんな中にKDP(Kindle ダイレクト・パブリッシング)によって、Amazon Kindleストアで本を無料で出版することが誰でもできるようになった。本を世に出したい人にとっては、ほぼ何の障壁もなくなったといえる(現実にはKDPの制約や不具合はいろいろ報告されてはいるが…) 出版デジタル機構が何もしなくても電子書籍100万点は時間の問題となるだろう。
しかしAmazonは本の自動販売機ではないので、自分の本がAmazonにあることを知らしめるプロモーションなりアフィリエイトが大変重要になってくる。そのようなAmazonにたどり着く方策が何もされないと、100万コンテンツは図書館の書架の奥に眠っている本と同じようなものになる。だいたいマーケティング的に考えると100万点というのは必要ない。音楽のダウンロードでもどんどんリスニング可能な楽曲数は増えていくが、ここ20-30年間流通を凍結され忘れられてていたアナログレコード時代の楽曲を再発見してもらうのには全く新たな工夫を必要とするだろう。その工夫にかかるコストを考えたならば商品数を増やすことはあまり意味が無いと考える人が多いだろう。
ところが世の中には100万コンテンツのようなロングテールであっても、そこにたどり着く道があらかじめ備わっている場合もある。平たく言えば専門分野である。私は以前、趣味で各県の教育委員会が出す遺跡の発掘調査報告書をよく見ていたのだが、それらは分厚くて高価で個人的に買い揃えることはできないものであった。おそらく関連した大学や研究所には送られていたものだろうが、それらを一般の人が参照することは大変障壁の高いものであった。今はPDFの報告書がネットで検索できる場合もあるが、それらを横断的に眺めることは今の検索エンジンでは出来ない。しかし、もし古代史という文脈で横断的に検索が可能になるならば、eBook化することは本来の出版意図を全うする最もよい方法になるだろう。
YouTubeやUstやKDPのような無料投稿の仕組みとともに、そういった個々のサービスを超えた横断検索のできる仕組みとか、リポジトリーというものが合わせて発達していかなければ、デジタル化されたコンテンツはどこに漂着するかわからずにさまようことになる。これからデジタルネイティブな出版物が作られる際には、一つの本が章や節に分断されても、なおかつその書籍の属するリポジトリとつながっているような仕組みも必要になると思う。eBookマーケティングを出版社個別の課題にするのではなく、デジタルコンテンツ全体のインフラとして考える必要があるのではないか。