投稿日: Sep 19, 2011 10:17:10 PM
ガラパゴスの撤退は何を意味するかと思う方へ
韓国の漫画の移り変わりの分析を記事「漫画は行き詰まっているのか」で書いたが、日本でもコミケやニコ動までを含めて漫画の拡大解釈をすると、ほぼ同様の見方ができる。というかもともと日本の漫画文化の影響が韓国に大きくあるので、彼らが日本からどのような影響を受けているかをあらわしている。それは日本の大出版社の超人気作品がメインではあるものの、コミケやニコ動的なものも中にも同じくらい騒がれているものがあることで、日本でも中高生あたりでは同じような見方があると思う。つまり日本で中高生くらいから受けている新しい感覚の作品が、韓国では大学生や若い社会人に受けているといえるのではないか。
韓国の方が新しいものを受け入れる年齢層が若干高いことは、有料化には有利かもしれない。デジタルでコピーがはびこることはどこでも同じだが、そのような状況の中からどのように新たなビジネスを構築するのかが問われていて、韓国がコンテンツ輸出に積極化したのは、例えば中国などにコンテンツを売った場合のコピーの問題をどう乗り越えるのかを考えてのことであった。日本の場合はコピーがされないように契約で縛ることが普通だが、韓国は建前上はコピーは禁止でも実態としてどこを緩めにして、どこにメスを入れるかという現実的対策をやっているようで、いわゆる私的複製に近いものはお目こぼししているようだ。
韓国国内のコンテンツ販売の話を聞いても、有料でも日本に比べると安めで、広告やライセンスやいろいろなモデルを総合してビジネスとして成立させる考えのようだ。日本は紙ベースの大きな収入に対して電子書籍が売り上げが少ないというが、そういった紙ベース収入があまりない韓国などの世界では、作家が最初からネットで登場して薄く広く稼ぐモデルというのが何も違和感がないようである。これは多くの産業に共通して言えることで、日本は過去のもうかった時代をビジネス成功の手本のように考えがちだが、そのようなNoReturnな幻想に囚われて足元の小さいチャレンジからモノゴトをスタートしにくくなっているのではないか。
日本の電子書籍は19年前のボイジャーの挑戦以来、方法については随分前に目処がついているにもかかわらず、ビジネスとしてマーケティング上のチャレンジが一向にされないまま、電気屋さんが端末新製品だけを出し続けるというアンバランスなことを繰り返してきた。紙の本の再現はボイジャーでほぼ見当がついたことであり、その先のチャレンジの中で重要なことは利用者にとって新鮮なユーザエクスペリエンスを仕組むことであり、ゲームでもアニメでもないようなものが記事「漫画は行き詰まっているのか」で書いた第4世代である。いまオリジナルコンテンツを投稿している若者とともに試行錯誤をしながら、それを何とかマネタイズする動きでは、韓国が先行するかもしれない。