投稿日: Oct 09, 2014 1:22:57 AM
青色LEDでノーベル賞がとれたことでいろいろな報道とか書き込みがされているが、もっともリアルに思えたのは、元日亜化学に居た人の日亜の内側から見たエンジニア中村修二氏に関するblog『ノーベル賞を受賞した中村修二さんと日亜化学、いったいどちらの言い分が正しいのか?元日亜社員のつぶやき。』である。当時は従業員200人程度の中小企業であった日亜化学が中村氏に何億円も使わせて、世界にまだない青色LEDに挑戦させていたというのはすばらしいことで、おそらくシリコンバレーに行ってもこのような研究はやらせてもらえなかったのではないかと思う。
今の日亜化学は従業員8300人で売上高が3000億円くらいになっているので、青色LEDで会社規模は40倍になったともいえる。なんだかんだと言われても青色LEDの発明とビジネスの関係はうまくいったのだ。私は子供の頃からいろいろな発明物語を興味を持って読んだものだが、そこで感じたのは発明することとビジネスで成功することは別物であるな、ということだった。エジソンはいろんな発明をして、自らのビジネスで大成功したのは電球が思い当たるが、レコードなどは失敗だった。そのほかどちらかというと発明者は不遇の人生を送りがちであったと思う。これは人間の限界で、万能の能力をもった人はいないからだ。
発明家は成功しなければ奇人変人扱いされるだけである。つまり周囲との折り合いが悪い。それは中村氏にもあらわれているようだが、少なくとも日亜化学の現場では中村氏は尊敬されていて、開発チームは喜んで一緒にやっていたようにblogからは読み取れる。中村氏はこのチームとは何か別のビジョンを抱いてアメリカに行ったのであろう。中村氏が日亜化学を離れてから折り合いが悪くなり訴訟沙汰にもなった。おそらく中村氏はアメリカ的な処遇を模範と考えて、日本の制度的な欠陥に挑戦するつもりで裁判をしたはずだ。同じ様な主旨の裁判例は時々あるが、アメリカ的な制度が一番いいのかどうかを日本の裁判で判断することはできないと思う。
いいかえると、発明の対価にビジネスの成功分(あるいは予測)を入れなければならないのか?という問題のように思う。ビジネスの成功が発明者の死後になることだってよくあるだろう。企業の時価総額とかデリバティブとか試算に試算を重ねて獲らぬ狸の皮算用をするのが好きなアメリカ人は、発明の効用も大きな夢を描いてしまうし、そうして次なる投資を呼び込むのだろうが、こういうアメリカンドリーム経済学は、実は科学の研究開発とは何の関係もないものである。
考えようによってはエンジニアとサイエンティストの境目の問題かもしれない。
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