投稿日: Sep 25, 2013 12:12:15 AM
ネットメディアの存在感
ネットの普及によって新たなコミュニケーション・メディアがいろいろ登場し、その都度に既存のメディアの代替をするようにいわれてきたが、実態は複雑である。雑誌はなくなってしまったものが多くある。新聞もどこの家庭にもあるものではなくなりつつあり、おそらく特定の読者層に絞り込んでビジネスをせざるを得なくなるだろう。そしてこの新聞の欠落部分を補うように、新たなメディアが拡張し、それは必ずしもデジタルとは限らず、地域新聞のようなフリーペーパーにもチャンスは回ってきつつある。
要するにテレビも新聞もマスメディアは「マス」の単位が何千万とか何百万という単位ではなくなって、一桁くらい小さい規模になるのだろう。しかしそれでもやはり「マス」であり、役割は同じようなものに留まるだろう。ただ経営的には規模が10分の1になってしまうとガラッと変わる可能性はある。今までは母屋であったものが、軒下の立場になるので、場合によっては単独で成り立たずに、情報コングロマリットとか他の情報サービスの傘下になる可能性もある。
元々新聞・ラジオ・テレビは系列で発達してきたので、それらがひとまとまりの会社になったとしても何の不思議も無いのだが…
一方でネットの利用も十分に「マス」な規模に育っていてるのだが、その社会的な影響力はまあ2流といわざるを得ない。日本でも何々速報の類はゴシップや大衆紙レベルで、大きな議論を呼び起こすものではない。今までのところ、ネットが作り出したメディアがジャーナリズム以下の瓦版に過ぎないことを記事『ネットは瓦版』で書いた。たとえ瓦版の内容が面白くても、瓦版にはメディアとしての存在感がないのである。
そこから抜け出すことはできるのだろうか? このことは情報発信側に責任があるのではなく、アメリカでHuffPostのような双方向メディアがでてきたのは、Webのニュースに対して多くの有益なコメントを寄せる市民層があったことによることを、記事『遅れているリアルメディア』で書いた。つまり欧米に比べてアジアでは市民のリテラシー未熟というのが壁になっているので、双方向とか参画型とかのメディアがまだ育ち難いのである。
アメリカでも全うな発言や書き込みができる人が国民の中でそれほど多いわけではないが、ボランティアや宗教を含めていろんな組織・団体の民主的な運営を担っているリーダー達のメディアリテラシーが高いので、レベルの高いネットコミュニティが実現できるようになったと考えていいだろう。これはアメリカで行われるコンファレンスの参加者の雰囲気から判断できることで、それなりの教育を受けていて議論や言論を主導する階層のようなものが存在するように思える。
もしアメリカでテレビと大衆紙しか見ないインテリ以外もHuffPostを読むようになったら、ネットメディアが革命を起こしたといえるかもしれないが、社会習慣としてテレビや大衆紙にネットの2流メディアが置き換わるにはあと20年とかはかかるのではないだろうか。当面はマスメディアの代替はないといえる。