投稿日: Jul 05, 2011 10:42:27 PM
もはや紙媒体は閉塞の一途か?と思う方へ
紙媒体は歴史が長いので、過去にはありとあらゆる試みといってもいいほど、いろんな媒体が作られた。特に雑誌は世につれて変化するのが特徴なので、今我々の身近にあるものは何らかの淘汰を経て生き残ったものである。だからその裏には膨大な数の消えていった雑誌があるわけで、古本屋の面白さとして「こんな雑誌があったんだ!」という発見がある。しかし古本屋も評価のされていない雑誌を店頭にそれほどは置けないので、それらを目にする機会はどんどん減っていくように思える。Googleでアメリカの有名雑誌は一部見られるようになったが、まだほんの一部である。もっともアメリカは先行してマイクロフィルムでアーカイブしている分野が相当あり、マイクロフィルムからのスキャンやOCRが自動化できるので、何らかのニーズさえあれば再利用の立ち上がりは速いであろう。
日本はどうか? 最近「ぴあ」が休刊になったが、かつてタウン誌が盛んになりそうになった時に、大阪の上方文化の雑誌を発行しているところを取材したことがあった。歴史のある雑誌ではあったが、地味過ぎてあまりにも面白味に欠けるので、私の原稿もボツになったような気がする。そのうちその雑誌も無くなった。一方で大阪の漫才は全国的に放送され、日本中どこでもTVから関西弁が流れるようになっていた。当時このギャップを不可解に思ったものである。つまり今大阪の文化が面白がられていることと、上方文化の伝統とはどこかに接点があるはずなのに、上方文化研究のオーソリティの側からは現代にアプローチはできなかったので、タウン誌のようなポピュラーなものにすることはできなかった。メディアビジネスは両者をブリッジするところにあるのではないか?
アメリカの雑誌で日本に入ってきていないものについて、記事『価値観の代弁者としての雑誌』で黒人向け雑誌を取り上げたが、人種とは別にアメリカではポピュラーで日本に入らないものに大都市で出ている City Magazine がある。これはホテルに泊まると机の上においてあったりするが、市販の雑誌で The New Yorker などが有名である。見栄えも立派で、機内誌のご当地版のような雰囲気もあるが、別に旅行者向けの編集ではなく、地元のアイデンティティに基づいて編集されているように思える。過去の伝統保存だけでなく現代に暮らす人も楽しませる要素が必要である。今日の状況でこういった雑誌の経営状態がどうなのか知らないが、広告がつかなくて雑誌形態がとれなくなることがあっても、人々は地元のアイデンティティを可視化して伝えていく媒体の必要性は感じるであろう。
今後の電子書籍・電子雑誌のありかたのひとつに、読者は居るが紙媒体では発行しづらいものがあるはずで、いったんデジタルメディアに待避して継続しながら、機会があればまた紙媒体に復帰するなり、デジタル媒体として発展させるということになるだろう。ただし紙媒体に復帰するにしても、この際記事『出版の自己変革はどこから始まる?』に書いたようにePubファーストにして、ネット上の共同編集形態に切り替えておくことが生き延びる上で重要で、デジタルメディア化するならばなおさらネット上での機動性を高めておく必要がある。
日本のタウン誌は広告モデルだけなら崩壊するだろう。だから何らかのコンテンツを持つ必要があるが、それをコストがかからないようにするにはネットの力が必要になる。有料・無料に関わらず、読者が明確に想定できるコミュニティ誌は、デジタルマガジンの揺り籠になるかもしれない。
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