投稿日: Oct 26, 2012 12:46:15 AM
書く自由が何をもたらすかと思う方へ
YouTubeに動画をアップしても何十くらいしか見られていないものが数多くある。今日ネット上にeBookをアップできるようになってきたので、電子書籍もほぼ同等の状況になるだろう。かつて自費出版というと著者からお金をとって編集から印刷をする業者が居て、それ自体は別にビジネスとして全うではあっても、自費出版が売れるかのようなことを言って営業することにいろいろな問題が生じた。しかし出すことの意味と、売れるかどうかは全く次元の異なる話なので、両者をセットにせざるを得なかった紙の出版の時には自費出版をためらった人も、デジタルではやってみようという人が増えてくるのではないだろうか。
もっとも業者のほうもすでに云十万円の低いほうで電子書籍を作りますよというサービスが始まっているが、幸か不幸か電子書籍がもうかるゾという常識が世間にないたために、アテが外れたというクレームはまだ聞かない。今後は電子書籍も甘言で釣る制作サービスが始まるかもしれないが、紙の印刷代がない分だけ被害も少ないし、元データがあれば後日にまた出しなおすことは容易である。
しかしそもそも自主出版は売れなくても誰にも損害はない。ものを書くということ自身が損得で考えられるものではないということと、出版とか冊子化というのを考えたほうが書くことがスムースにいくから自分の目標設定のためにも必要になる。おそらく過去からそのようにして本人は書き溜めていたが、日の目を見ずに埋もれたコンテンツは多くあるだろう。また紙で出版しても売れずに絶版になった書物も数知れずある。著者がそれらを人が目にできる形にしたいと思ううのは当然だろう。
青空文庫創始者の富田倫生氏はNECのPC-9801が登場する様子を『パソコン創世記』として出版したが、すぐに出版元の旺文社が文庫から撤退することになって、在庫があったら引き取ると連絡したらすでに断裁されていて、本人は2冊だけしか手にできなかったという経験をもつ。この経験がテキストを公開する青空文庫をつくることにつながっているはずだ。結果的にはこの本は手を加えられて別の出版社から出ることになるのだが、もしその時に電子書籍があったなら、きっとそちらが先に出ていたであろう。
富田氏の場合は読み直して書き足していくということを続けていたので、草稿をテキスト公開していたわけだが、そういう過程も電子書籍で行われるようになるだろう。つまり同じ本でも著者都合で何年版というバリエーションがいっぱいできてしまうこともあろう。自主出版の意味するところは、出版のビジネスプロセスにとらわれない書く自由がえられるということだ。