投稿日: Dec 16, 2013 12:37:21 AM
商業音楽の拡大解釈に歯止めが必要
昔、大阪から東京に出てきてオヤと思ったのは夏に小学校校庭で盆踊りがあると炭坑節をやっていることで、これは今でも続いている。日本から炭鉱がなくなったのに炭坑節があるというのは奇妙な感じもする。そこに居る子供たちは何の歌であるのかわからないまま踊っているのだろう。歌詞に三池炭鉱と出てくるので、高齢の人は何度もニュースになった三井三池炭鉱の悲惨な事故や労働争議のことを思い出すかもしれないが、殆どの人はなぜ三池炭鉱が歌われているのかわからないだろう。(歌は三井三池炭鉱で生まれたものではなく、地元の民謡が炭鉱と結びついたものといえる)
私の父が石炭業界だったので、私だけ特別記憶に残っているのかもしれないが、苛酷な環境と対照して、「月が出た出た」という牧歌的なやすらぎが印象的な歌である。
聖歌397番に「遠き国や」という歌があって、「遠き国や海の果て 何処に住む民も見よ 慰めもて変わらざる 主の十字架は輝けり 慰めもて 汝がために 慰めもて 我がために 揺れ動く地に立ちて なお十字架は輝けり」という歌詞で、阪神大震災とか東日本大震災のような大地震が起こると、なぜか自然に歌われることが多くなる。
日本で歌われている多くの聖歌は欧米で歌い継がれていた歌に日本語の歌詞をつけたものであるが、この397番は「揺れ動く地に立ちて」に表わされているように、1923年の関東大震災の際に日本で生まれた。大阪市立高等商業学校(現在の市立大学)の英語講師であったJ.V.マーチンという宣教師が東京に行っていた際に地震に遭い、余震の中で芝白金の明治学院の運動場に被災者が集まっている姿を見て作った。歌詞の「慰めもて」の繰り返し部分が印象的で、今日でもなぐさめを願う歌となっている。
いずれもプロの歌手のレコードを買って聞く曲ではないが、民間で継承されている。こういう音楽文化の継承は太古の昔からあるものなのに対して、レコードのような商業音楽が前世紀に異常に発達したがために、商業音楽を基準にした著作権が支配的なったのが今である。
そのために人が集まった時に一緒に歌うとか演奏するということが何かと不自由になることが起こっている。自然発生的にその場に音楽が醸しだされることにブレーキがかかることがある。日本ではライブハウスにJASRACが集金に来るが、それは商業音楽を無断で営業に利用されないように見張っているからだ。
アメリカでは happy birthday to you の著作権を主張して、歌うたびに幾ら払えという人も出てきたことがあった。
こういったことの延長上に、ネットでのコミュニケーションにおいての音楽というのもいろいろ規制の対象になっている。インターネットのような遅延が起こらないネットがあればネット上のバーチャルなバンドも可能になるが、そのような音楽共有やそこでの楽曲の利用は、おそらく公衆送信権云々にひっかかってしまうだろう。
太古からあった音楽文化の延長にネットでの音楽利用を考えるとすると、商業音楽の利権から、音楽を人々の日常に取り戻すことがあらためて課題になるように思う。