投稿日: Oct 01, 2013 12:59:36 AM
誰でも高品質なものが作れるか?
昨晩、新宿文化センターで、ほぼレーナマリアさんのコンサートといってもよい”Celebration of Love”(参考)が行われたので行ってきた。ビリーグラハム伝道協会の催しで、メッセージはビリーグラハム師の孫にあたるウィルグラハム師であった。レーナマリアさんの演奏は「カラオケ」であるのだが、新宿文化センターのような最近出来たホールはPAの音響が凄くよくできているのだろうけれども、目の前に楽団がいなくても何の違和感もないほどの音場ができていて、歌手の方にとっては新たな時代かもしれないという気がした。
歌手がいなくてもボーカロイドが歌うというのもあるが、逆にカラオケでも歌手がでてくるとライブになるような感じとでもいおうか。こうなったのは音響設備のデジタル化にも要因があると思う。昔はアンプを通した音にはどうしても何らかのノイズとかノイズ感が含まれてしまったのが、今のD級デジタルアンプでは入力がないと全く無音になって、アンプの電源が入って居るのか居ないのかわからないくらいだからだ。
デジタル録音というのも進んでいて、楽器ごとにマイクをつけるとか、電子楽器の場合は直接ミキサーに接続することによって、空中の音を捉えるのではなく、音源を人工的に組み合わせて音楽を作り出すようになっている。そしてデジタルデータになるので、録音スタジオの設備によるノイズも全然無い。
このような録音方法は使いこなすのにアナログな録音とは異なった大変高度なノウハウが必要であると思う。だから素人がデジタルは音の劣化が無いと思って取り組んでも、逆に雰囲気の悪さが出てくるのではないかと思った。それほどレーナマリアさんの演奏はリスキーなところをかいくぐって出来上がったものだと思える。
私はシンセや打ち込みが馴染み難いタチなので、余計に気になるのだろうが、音の種類とかハーモニーの豊かさとは別に、音が作り出す空間の広がり狭まりのコントロールがメチャメチャになると具合悪いと思う。
それはアナログで空中の音を捉えれば、だいたい人が聴いているのと似た音場が再生されるのと違って、個々の音源をミキサーの中でバーチャルに音場化することの難しさである。かつてマルチトラックで録音してミキシングでレコードを作るようになった時に、人が弄び過ぎてキモチ悪い曲になったことがしばしばあったが、それと似たことがデジタル化でも起こるのかもしれない。レコード場合は左右に別々の楽器を割り当てるなど、実際にはあり得ないステレオも作られた。そういうものは淘汰されるが、キモチ悪い曲をつくられてしまったアーチストは気の毒である。
以上は技術の誤用のリスクの話で、何でも素材がデジタルになると、ずっと劣化無しに使えるために無神経になりがちな点がいくつかある。例えば写真の合成では、素材の鮮明度とかボケ具合というのを調整しないと、1枚の絵としてメリハリができにくいので、あえて部分劣化させる技術が必要になる。それは職人ワザであり続けるだろう。
デジタル化で誰でも高品質なものが作れるようには、簡単にはならないはずだ。