投稿日: Jun 12, 2010 9:22:22 PM
アメリカの荒削りなサービスがなぜ成功するのかと思う方へ
地図コンテンツのゼンリンの方がGoogleと付き合ったことについて話されたことがあった。その中で日本人ならこの案件は1年後を目標にとりかかるようなものを、Googleは2ヶ月で完成させてしまうことに大変な恐怖を覚えた、ということがあった。つまりGoogleと同じことを考えたならば、絶対に負けてしまうだろう、という意味である。その後ゼンリンはGoogleにはできないこと・やらないこと、に比重を置くとともに、開発期間の短縮に取り組んだ。地図応用のナビゲーションでは、人力調査を活かすアプリで、徒歩のルートとか、雨にぬれないで歩けるルートなどもやっていた。
GoogleMapは近年著しく発達したサービスで、ストリートビューのように技術的にもコンテンツの面でもどんどんいろんな要素が付け加わっている。地図データや航空写真も特定のコンテンツに縛られるものではなく、いろいろなものをうまくつなぎ合わせる構造になっている。つまり何らかの地図をベースに作ったアプリではなく、表示する時に地図化しているだけで実はmapには依存しないものと考えてよさそうだ。おそらくあらゆる情報を緯度経度で串刺しにして表示する、というような単純なコンセプトなのだろう。
もしGoogleMapが航空写真なり地図情報を貼り合わせたものだとしたら、それらが手に入らないところはどうするのかで悩んだであろう。こういったものが地球上すべてほぼ均一な状態で手に入ることはありえないからである。たまたま日本は地図情報が発達しているのでGoogleMapはスゴいと思えるのだが、例えばバーミヤンあたりになると、道路が一本あるだけで何も表示されない。航空写真では明らかに道路があるのに、地図では道路も表示されないところもある。一方世界的には無名でも地図上の道路の入組み方から「只者ではない気配」を感じて、きっと過去に何か由緒があるのではと調べているうちに気づいたところに中国の義烏(日用雑貨の世界一の集散地)があった。情報の集積が不均一であっても、活動の盛んなところの情報が集まっていればだいたいの用は足りるということだ。
日本は地図出版がもともと盛んで、すでに地図会社はCAD化して地形や道路情報のほかに10レイヤー以上に地上のいろんな情報を集積・管理している。そのレベルから考えると世界のあらゆる地理情報を扱うシステムというのは、日本と同じようには扱えないので、外国において日本で今まで行っていたことを展開できる場所は非常に限られてくる。また日本においても今まで行ってきた以外のサービスに展開するのもいろいろ制約が出るであろう。
日本のビジネスは過去の資産をベースに考えがちである。しかり、どうも彼らはこれからやろうとしていることに関して、現状の制約を離れて一段高い抽象化した単純なコンセプトに集約して、それからもう一度現状へ戻ってあてはめや、足りないところをどう補っていくかのロードマップを作っている。日本人は現状の足並みをそろえることを問題にするあまり、着手が遅くなるとか、壁に突き当たりやすくなってしまているのではないだろうか。