投稿日: Dec 19, 2015 12:40:34 AM
今でこそスマホでマルチメディアは当たり前のようになっているが、世に流通する情報の中でマルチメディア化したコンテンツはまだほんの一部だ。CD-ROMの出始めの頃に話題になったものにマルチメディア・ベートーベンがあった。その後しばらくはこれにヒントを得たマルチメディアCD-ROMが続いて出版され、マイクロソフトもマルチメディアアプリを売るようになったこともあった。当時はこれらは教科書的マルチメディアだったので、注意してよく仕組みを観察したものだった。
マルチメディアを実現する技術というのは、その後の20年でコモディティ化して、音も映像もアニメーションもオーサリングに投資が必要ないようになった。しかしだからといってマルチメディア作品がそれほど増えたわけではない。それはコンテンツの企画面での難しさというか、コンテンツの奥行きの問題があるからである。
若い技術者がベンチャーとしてマルチメディアに取り組んだところは、このコンテンツの壁にぶつかって沈没するのである。
例えば鳥のマルチメディア図鑑を作る際に、鳥の飛んでいる姿と、鳥の鳴き声を入れようとすると、ありきたりの鳥ならすぐに用意できても、滅多に見れない鳥とか、滅多に鳴かない鳥も収録しないと、面白味のあるマルチメディアにはならない。限られた容量の中で面白さを出すには、鳴き声も意外なものとか、珍しい生態もちりばめなければならない。だから技術ベースの会社には手におえないものとなってしまう。
こういう一般的ではない情報に通じていて、しかもマルチメディアコンテンツを集めることは、一般の商業出版の収支にはあわないのである。マルチメディア・ベートーベンの場合は、ヨーロッパの音楽専門家のような権威者の手を借りるのではなく、アメリカの一個人がマニア的に集めた情報を元に作られていて、実は情報コストというのはあまり計算されていない。つまり誰かがライフワークとして取り組んでいるところに相乗りしてマルチメディア化したものといえる。
アマチュアから出発してTVなどにも出ている「おさかな君」のような、専門家に匹敵するような人が企画や情報提供に協力をしないと、紙メディア以上の面白さにはならないだろう。こういうライフワーク化した民間のマニアはそれぞれの分野に居る。しかしそういう方を安い値段で使おうとしても、本人の意に沿わないような企画では協力してもらえない。いいかえるとマルチメディアの出版をしようとする人が、そういうマニアの方に協力をするくらいの寄り添い方をする必要があるのだろう。出版社は人々の趣味の大海に泳ぎださなければ、マルチメディアには携われないだろう。
今までの出版は著者=権威者になるケースが多かった。しかしマルチメディアはコラボレーションで成り立つモノであり、トプダウンのプロデューサ+ディレクタの采配で動くものではないようだ。
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