投稿日: Mar 28, 2013 12:48:52 AM
新しいメディアはどこに棲み付くかと思う方へ
20世紀に勃興した大衆本からレコード、映像などさまざまなコンテンツ分野がマスなビジネスとなったのに、21世紀になると金がまわりにくくなっている。その理由はいろいろいわれていて、無料の氾濫とか、累積的な蓄積とか、コピー問題云々で、それらに対抗するように知的財産権を設定して過去の資産を守ろうとする動きが強くなる。しかしそれで21世紀のビジネスモデルを築いていくことにはならない。
無料の氾濫は書き手や編集・加工という作業が専門職でなければできないことではなく、万人に機会が与えられるようになったことで、これに対しては著作隣接権などで縛ろうとしている。累積的な蓄積は図書館とか古本をみれば明らかで、従来の新発売を大量流通させるビジネススキームを難しくし、課金の仕方を購入モデルから利用モデルに移行させ始めている。コピー問題は、データをメモリに入れてあちこち転送して処理するというデジタルの本質に関係していて、キャッシュであれキャプチャであれ無くすこともプロテクトもできない。むしろ再流通をモラルで抑制するだけで十分だろう。
今の知財権問題が面白くないのは、大抵が時代に棹さすようなことばかり議論していて、新しい枠組みを考えると言うところに行かない点だ。それでは積極的にビジネスしようとする人には役に立たない。
以上のような状況でコンテンツは金が回らないという機運が高まっているが、それはマスメディアを通して大量流通するものが減っているだけで、欧米では音楽ライブとか、日本では音楽教室、カルチャー教室、習い事などが幼児の情操教育から高齢者のコミュニティまであることを考えると、コンテンツ作りを楽しむ世界は大きく広がってきたし、そこにもマスとは関係があるような無いような世界が厳然としてあることがわかる。
元々ヤマハ音楽教室のように楽器販売と習い事がセットにすることでローカルなミニ文化イベントなどをまわすようなモデルはいろいろなところにあり、それらは殆どがプロを目指すようなものではないので、コンテンツビジネスとはみなされなかったが、教える側はプロとか半プロであり、ある意味では金がまわる仕組みはできている。
コンテンツ作りに関わる楽しみは社会の豊かさと関係していているのだろう。日本はすでにコンテンツはあふれるほどになっているのだから、消費者の渇望を補うと言うだけのビジネスではなく、一緒に楽しもうというカラオケが発達した。この延長上に、もっとコンテンツ作りに参画しようということは伸びていくだろうし、そこにメディアの出番も出てくるだろう。
マスメディアとしての音楽雑誌が衰退して流通する音楽情報が減る一方で、こういうコミュニティ型の媒体が無限に登場して音楽情報を補完するようになるのではないかと思う。教える側に半プロがいっぱいいるように、こういったコミュニティの中にも半プロ的な書き手や編集・加工というメディア制作者が登場してくるからである。
これは文化教室などにもいえることで、こういった地域的で見る人が限定されてはいるが、指向がはっきりしているメディアにアフィリエイトで金がまわることで、小さなエコシステムが成立するようになるはずだ。
個人が社会全体を相手に自主出版でヒットを狙うとか、アフィリエイトで月収1000万を狙うというような、私欲によってはエコシステムは出来上がってこないはずである。