投稿日: Feb 21, 2011 10:55:3 PM
Facebookはなぜキャズムを超えたかと思う方へ
日本がガラパゴスと自称するのも、外部から合理的には判断できないような嗜好に惹かれておて、日本人からすると意味のある深みのあるものがガラパゴスなのかもしれない。この合理性よりも阿吽の呼吸を尊重する島国気質によって、日本人のすることは同一性が高くなっていて(どんぐりの背比べ)弱点でもある。こうなっているのは、日本が国家(領土・国籍)と国(郷)と血と民族(文化)がほぼ重なり合っているからで、日本人は自分のアイデンティティを考えることが少ないし、お互いのアイデンティティを尊重するという習慣も無い。しかし日本に住む日系ブラジル人では共通のアイデンティティを認識しているので、リアルなコミュニティもあってお互いが助け合っている。自分が意識的に参画する民間の自発的なコミュニティがあって、その中で機能するソーシャルメディアがあるわけで、世界的に見るとさまざまなコミュニティの汎用プラットホームとしてFacebookはブレイクした。
アメリカは開拓史以来の地方社会の特徴があり、俺たちの町、という意識が強いので、そういったアイデンティティによるコミュニティや、人種によるコミュニティも多くあり、そこには日常的なつながりがある。キング牧師の公民権運動で「I AM A MAN」というプラカードのデモがあって、当時何を意味するのか分からなかったが、黒人は「BOY」と呼ばれていたことと関係している。つまりコミュニティごとにモノの言い方も変わるということで、ひとつのマスメディアではくくれないとともに、コミュニティの外で発言すれば論争の元になることもあり得る。
以前シーボルトセミナーとコラボレーションしていた時に主催者のスタッフがコンファレンス会期の途中で居なくなることがあって、理由はユダヤの正月だから親戚の集まりがあるからだという。親戚が自分の仕事より優先している。ユダヤ人は異民族の中に入ってビジネスを広げるということを歴史的に行ってきたが、一方でユダヤ人同士は強い絆で結ばれていることが分かった。Facebookのザッカバーグは名前からしてユダヤ系に思えるし、見た目もWASPではない。親は相当な実業家のようで、著名な人に家庭教師になってもらってプログラミングの手ほどきを受けているなどの育ちを聞いてもビルゲイツと似た家庭環境に思える。おそらく生まれながらコミュニティ意識は染み付いていたを思える。facebookの成長にも親から受け継いだ何か(訴訟の相談とか)があったのだろう。
これらは、阿吽の日本人とも、一匹狼のSteveJobsとも違い、個人とコミュニティの相互関係の中で生きていく人たちの話で、そこから発生したFacebookの第一の用途として親兄弟との絆という役割ゆえにキャズムを超えたと思わせる。子や孫の生活を覗けるとなれば、爺さん婆さんもFacebookを使うだろう。それが子や孫の支えにもなって、ザッカバーグも一族から応援されていたことだと思う。さて日本に置き換えて考えると、ソーシャルメディアの効用はどのようなところにあらわれてくるのだろうか?