投稿日: Jul 13, 2013 12:1:41 AM
コンテンツの死蔵を憂う方へ
今日の著作権や知財権議論の大半はクリエータの頭越しに行われているから迷走していることを、記事『文化は盗めるようなものではない(1)』で書いたが、著作権の起こりには2つの源流があって、1つはクリエータの人格権のようなものと、もう1つの出版業の財産権がハイブリッドになって問題をややこしくしている。そもそも著者と出版社の立場は微妙に異なっており、著者が本を安く沢山売って欲しいと思っても、出版社は高くターゲットを絞って売るという場合もある。どちらが良いというものではないが、出版当初は両者が合意しても、そのうちに別々の思惑をいだくようになることもある。
その典型が、「品切れ」状態で、現在日本の書籍の殆どは1年くらい経つと陥る。昔は重版で高い利益率のビジネスをしていた出版が初版のみの自転車操業になってしまった。出版社が品切れでも絶版にしないのはいろいろな理由があるが、出版の権利を手放さないために著者は別の出版社から再版をすることが困難になる。しかし法的措置は一方的に出版社の側に偏っていてミッキーマウス法とかクリフリチャード法という方向に進んでいるように見える。
先般EBook2.0 Forumの「著作権は何のためにあるのか」の研究によると、イリノイ大学ロー・スクールのポール・ヒールド教授がAmazonの本をランダムに標本化したところ、1850年代に初版が刊行された書籍は、1950年代のものの3倍に達したという。著作権が著作物の消滅・死蔵を増やす方向に作用しているといい、著作権の創設当初は14年程度と常識的な長さだったものが、出版社の「財産権」継承の権利期間を原著作者とは無関係に立法措置によって延長してきたのが実態であったことになる。
著作権で保護されていると、大方の書物は手に入りにくくなるのと逆に、パブリックドメインは原著作者が生きているうちにも人々に見てもらえる機会を増やすことになる。(お金を回す仕組みは別の話になるが)
Amazonがしていることは、従来の出版社や出版流通がしていた役割を分解して、明朗会計にしたことだろう。だから古本を扱ったり、Kindleに無料本があるような、一見すると出版界の常識をはみ出すような活動もできるようになった。こういうプラグマティズムを日本の出版界が好まないこともわかるが、出版が自分で作り出してきた隘路である、「換金できない権利の山」をどう処理すればよいのかに取り組むには、何よりも原著作者と別々の思惑に立つ必要があるし、立ち位置を変えるにはプラグマティズムが必要だと思う。