投稿日: Oct 16, 2014 1:6:43 AM
今年のノーベル賞騒ぎも一段落したようなので書いてみようと思うのだが、マスコミもまた一般人も日本で開発された青色LEDのことで熱くなって、まともな話には目もくれない状態が続いていた。まともな話とは、LEDが人類にどのような貢献をしたか、またこれからするのかという問題で、LED照明によって発電に必要なエネルギーがこれくらい減らせられるというのが受賞のポイントであったように思う。つまり日本は特に原発をどうするかという課題をかかえているので、日本の照明がLED化されたならば電力需要はこうなるという試算を誰かが発表してもよさそうなものだが、そういうストレートな対応はみられなかった。本来ならばこれはマスコミがやるべきことであろう。
このように見ていくと大方の日本人は人類が抱える課題などには興味が無く、ノーベル賞をとった日本人は3人なのか2人なのかというようなことを一生懸命議論していた。これはもしノーベル賞とは何ぞやということを考えたなら全く愚かしい議論なのだ。基本的にノーベル賞は人類のために偉大な貢献をした人に与えられるものだから個人対象であるし、ノーベル賞が設立された20世紀の初頭から20世紀前半の戦乱の時代を思い起こせば、ヨーロッパでは国境が滅茶苦茶変化し続けていて、今の安定した国境と国家の概念などとても想像つかなかった時代のものなのである。
つまり20世紀の初頭はドイツやハンガリーやイギリスは大帝国として君臨していたのが、それぞれ数~十数か国に分かれていった時代であった。そこでは、一人の科学者が産まれれてから、高等教育を受け、就職し、成果をあげるまでに一つの国で完結するとは限らなかった。20世紀前半のヨーロッパの歴史は日本の高等教育を受けている人なら誰でも知っているはずのことであるのに、受賞者の国籍云々をどうして問題にするのであろうか?日本の学校教育が役に立っていないと思わざるを得ない。
ノーベル賞関連の記事の中で目に留まったものに、1987年に受賞したノルウェー系のチャールズ・ペダーセンのことがあった。私は知らなかったのだが「韓国生まれ」の化学賞受賞者だそうだ。日本が朝鮮を併合する前の1904年にノルウェー人の父と日本人の母の間に釜山で生まれた。母の安井タキノは大豆と蚕糸貿易に従事した家族とともに朝鮮に移住しペダーセンの父と会って結婚した。彼の父は朝鮮の雲山鉱山のエンジニアだったが適当な学校が朝鮮になかったがために、8歳の彼を長崎の修道院学校へ行かせ、その後に横浜のセント・ジョセフ・カレッジで中学と高校を卒業し、米国の大学に進学してマサチューセッツ工科大学で有機化学の修士学位を取った。その後デュポンに就職して1953年に米国籍を取得した。米国籍をとるまでは一体何国人だったのだろうか?
これをみると、教育は国がするものでも学校がするものでもなく、親の意向が第一であることがわかる。特にユニークな研究には親も個人として自立した生き方をしていることが重要であるように思える。
Top → Articles デジタルメディアビジネスの記事 過去記事→Archive