投稿日: Nov 30, 2012 2:4:52 AM
何のためのeラーニングかと思う方へ
eラーニングアワード2012フォーラムに出かけた韓国の方が、日本はどうして取り組みが遅いのかということを言っていたが、他のお役所仕事と同様に各省庁や部署間の連携というのがとりにくいからだろう。大統領制の国では大統領に権限が集中していて、問題のある行政組織を変えてでも政策の執行をすることがあるが、日本はそのようなことができない。例えば電子黒板・電子教科書とかeLearning的な教え方をするには、先生1人に対して何人の生徒がよいか、というのは考え直す必要があるかもしれない。韓国の電子黒板は大型液晶ディスプレイであるので、25人くらいのクラスがよいというが、日本では30-40人クラスにどんなディスプレイが必要かという点でプロジェクタ型のものが開発されたりする。
日本の方はどうしても教育制度の変更部分を最小にしたいから、学校や教室はそのままで黒板を電子に変えようという姿勢が強いのだろうが、それでは教育のIT化は何のためにするのかというところが抜けてしまい、お役所仕事の歪曲した手続きの集まりになってしまう危惧がある。そもそも日本の教育に関する法律には変なところがあって、少し前に「教室の天井の高さ」の決まりに関する議論があった。子供の教育には普通のオフィスよりも高い天井が必要だという説がいつの間にか法律になっていたからである。このために建築費なども割高になっていた。
つまり教育を科学するという点がヌケているのである。教育に関する論争もだいたいは精神論主体で実証的ではない。唯一進学関連業者のみが学習効果のデータを取り続けているが故に、それらを根拠にした偏差値に保護者は依存する傾向が出てしまった。しかし今の高校や大学の偏差値などは模試業者と学校の化かし合いのようになっていて、入試の受験偏差値は高くても、実際にはそれ以上に推薦入学を沢山とって学生数を増やす私学が多い。つまり卒業する生徒の偏差値をもし計ることができたなら、入試偏差値よりも卒業時偏差値の方が下がってしまうことになるので、入試偏差値云々が実際に意味があるのは日本に数十大学しかない。
では教育のITで何が出来るのかについては、ITで何かの効果が出るようなものではなくて、その学校なり先生なり生徒の試行錯誤が数値化されて見えるようになりやすい、ということではないだろうか。例えば従来の教室ならば先生の問いかけに手を挙げた生徒の意見しか聞くことができないが、タブレットでアンケートのような答え方をさせると、全員の解答の分布がその場で確認できる。それをもとにどのような手を打つのかは教える側の工夫であってITの問題ではない。ITによって日常の授業からデータが取れるようになると、従来の業者の偏差値以外の教育の指標が得られるようになるのではないか。そういった分析の積み重ねが科学的な教育議論のベースとなるだろう。
eラーニングになるとコンピュータが先生になるように勘違いする人が居るが、先生は採点や集計の事務作業から解放されて、どう教えるかにもっと集中する側にまわるべきなのだ。