投稿日: Aug 05, 2015 1:25:37 AM
人の営為は昔から大して変わっていないところが多い。災害が起こるとどうなるか、戦争が起こるとどうなるか、他国とのバランス、などに関するものは、今日的な問題であっても、日本の特殊事情というよりも、人類に共通した問題である場合が多い。おそらく欧米から他民族への蔑視とかヘイトがなくなる日は来ないであろう。しかしヘイトによるリンチ殺人のようなことは立法である程度防げる。現実に出来ることはその程度なのだ。
このような人が免れることができない根源的なテーマを、簡単に立法で対処することも、こうあるべきと言いきってしまうこともできない。アメリカは禁酒法時代というのがあったが、歴史的に考えるとあれは問題の分析を放棄してヒステリーで突き進んだとしかいいようがない。こういった不十分な思考がまかり通ったのは、アメリカ社会がまだ若かったということかもしれない。そのように、解決しない問題で関係が破たんしないように外交とか経済協力をお互いにして、思考放棄のヒステリーにならないようにしているのが現代であるが、常にヒステリーに向かうベクトルも持ち合わせている。
明治維新の尊王攘夷というのもヒステリーで、その運動は一時的には何らかの役割は果たしたかもしれないが、結局は対外的には外交活動で理性的に国際関係を築いていくしかなかった。しかし日本は外交がへたくそで第2次世界大戦では失敗をしてしまった。日本は近代国家としてはアメリカよりも若輩者なのだろう。
また終戦記念日がやってこようとしているが、戦争でひどい目にあったということを思い返すだけではなく、国家の運営として至らなかった点にもっと焦点を当てた方がいいのではないか。特に国家規模の集団ヒステリーが起きないようにすることは重要である。
第2次大戦後に日本の成立ちとか国家観というのは大きく変わったが、そのひとつに考古学の役割がある。古代史を神話ではなく、旧石器、新石器、縄文、弥生という社会の発展としてとらえるようになったからである。考古学は主として先史時代を扱うのだが、歴史時代ではまだ日本の成立ちは十分な議論が無いように思えるところがある。日本は万世一系であるというのもヒステリーであった。
たとえばアイヌや沖縄の歴史については公教育ではあまり教えられていない。日本人とは何かを考える上では、アイヌ・沖縄の問題は重要であると思う。戦前には日本文化の多様性を認める考え方は薄かったからだ。今日的には移民問題がこれに関連する。
日本列島は本来は周辺からいろいろな民族が集まってできたアマルガムであるので、それにふさわしい日本人論が外交に先だって必要な気がする。
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