投稿日: Nov 17, 2015 1:30:37 AM
どうしてもパリのテロ事件が頭から離れない。やはりというかヨーロッパ育ちの20代の若者が実行犯の中心であるようだ。彼らはISで軍事訓練を受けて、戦場の場をパリに設定したのだろう。自分の育ったところを攻撃するというのは、自分の居場所とか帰る場所は無いと感じていて、「聖戦」で天国に行くという選択をしたのだろう。
何度も書いているが(『13日の金曜日』『パリのテロリストは誰のため?』)、テロを正当化するような口実を与えることを防ぐことがテロ対策の基本であると思う。具体的にはイスラム教の曲解で自爆テロが続いていることを断ち切ることであるが、これはイスラム教の外側に居る我々にはなかなか手が出せないことである。
ローマ法王が代わってからカソリックの改革のようなことが行われているが、昨年のクリスマス前に他宗教とは敵対しないということを言っていた。イエスキリストが弟子の足を洗ったのになぞらえて洗足式が行われるのだが、なんとイスラムの孤児院にいる子供の足を洗ったということで話題になったこともある。
インドのマザーテレサはヒンズー教の貧民が死に行くところで奉仕をしていたが、別段にキリスト教に改宗させるようなことはせず、そのコミュニティに溶け込んでいった。
それらの反対が父ブッシュで、東西冷戦が終わった際に、これからは中東問題に焦点をあてるという発言をして、その際に新たな十字軍という言葉をつかって、それが後々紛争の種になったと言われている。ブッシュがどこかでその話をしたのが、9月11日であったということを同時多発テロの時に調べていて見つけたことがある。
英語の声明であっても十字軍という言葉は軽率で、20世紀に宗教対立を避けようとしていた人々の努力がむなしいものになってしまう。十字軍自体は失敗に終わって、むしろイスラム勢力の地域が拡大してしまった。ISなどはそんな過去のアナロジーを自分たちに当てはめているのかもしれない。
実際の中東は、エルサレムの丘の上に、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教、の聖堂が同居していて、金曜日、土曜日、日曜日と日替わりで礼拝が行われるような秩序になっていて、元来はぶつかるものではない。古いビデオでエルサレムの市場を映したものをもっているが、民衆はお互いに隣人として一緒に暮らしている。それらからすると、宗教対立というのは誰かが作為的に起こしたものが広がってしまうことで、それぞれ何らかの信仰は持っていても人間の弱さ・頼りなさが現れたものといえよう。
ヨーロッパには今中東からの移民が増えて、必然的に排外主義も高まりながらも、異なる宗教の共存が重要であると考える人も増えて、行動を起こすことが目立ってきている。中東でISを空爆などで締め付けるだけでは、欧米出身者が母国に帰ることをすすめてテロのリスクは高まってしまう。ISから戻る彼らを受け入れる包容力が問われるだろう。
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