投稿日: Sep 11, 2012 12:22:14 AM
著作権は誰を守っているのかと思う方へ
ロングテールがビジネスになるのかどうかを疑問視する人は多いだろう。記事『ロングテールがコンテンツビジネスを支える』では音楽の例だがコンテンツの販売部分よりもアーチストの育成からマーケティング、ファンの育成・交流などバリューチェーンの増強に力を注ぐ必要性を書いた。それに棹をさすような権利関係の立法は権利者総体としては自らの首を絞める行為なのだが、ビッグマネーを産み出すヒット作偏重で今までの著作権の立法はされてきたように思える。しかし歴史が100年にも満たない楽曲の権利管理を振り返っても、一時的なヒット曲よりもスタンダードな曲の方が総利用数がうわまわる。まあ通常は最初にヒットしたあとでスタンダード化するので、両者は関係するのだが、スタンダード化しないヒットもある。またヒットしなくてもスタンダードになる場合もあった。配信権管理団体のBMIもそういった集計を出していたように思う。
つまり音楽産業を堅固たるものにしたいならば、新作を乱発するよりもスタンダードになりそうなセンを狙ったほうがよい。これは書籍でも同じであろう。スタンダードというのは多くの人にとって初めて聞くような楽曲ではないが、落語の名人のように知っている話でも上手に演じるところに値打ちがでる。今音楽として流通しているのは楽譜や歌詞というコンテンツではなく、実演の方である。楽譜や歌詞を厳密に管理して利用料を取ることと、商品のコピーを売るのを取り締まるのは次元の異なることだと思うが音楽を流す店に使用料を徴収にくるJ社は、まるで泥棒を取り締まるかのような高圧的な印象を受ける。
前者の楽譜や歌詞の使用料というのも実際にはもっと細かいケースごとに決める必要があると思うのだが、今はグロスで管理されている面がある。そのためにカバー曲はやりにくく、カバー曲の権利関係を調べたり手続きをするぐらいならば、いっそのこと似た曲をオリジナルで作ったほうが手っ取り早いということになっているのではないだろうか。これも過去のレコードの歴史を見ると、実演家と音楽産業の間でいろいろなゴタゴタがあったものの、あまりきれいに整理はされていないように思う。
曲が似ているのかオリジナルかというのはあまり厳密に詮索しても意味が無い。もともとPOPSでもパブリックドメイン化した賛美歌やトラディショナルを下敷きにしたものが多くあり、100%ピュアな創作というのはあまりないからである。むしろ権利の保護期間を短くしてカバー曲をやりやすく、また廉価にした方がオリジナル曲が増え続けるのが抑えられて、スタンダード化が促進されるのではないだろうか。
著作権の保護期間というのも死後50年経ってパブリックドメイン化されても、それ以降で蘇生するコンテンツが本当にあるのかと思わされる。有名な楽曲以外はこの50年の塩漬けによって、世間から忘れ去られてしまうのである。むしろ発表後間もなく本人に利益が還元される間に大いに楽曲がカバーされる可能性が高いわけで、その後一定期間経ってからはカバーの制限を緩めて、むしろ楽曲が世間から忘れ去られることなくリバイバルの機会を作った方がよいだろう。
要するに権利者の儲けどころというのをよく考えた制度を作るべきなのだろうが、現実は法律文言の教条主義的な硬直した制度になっている。これは権利者の立場よりも、音楽産業の短期利益を優先にロビー活動がされているからである。今日ではクリエーターが直接に生活者に自分の作品を提示できる機会というのが増えているわけだから、権利者の立場に立って著作権を考え直す必要があると思う。それは商品が売れる/売れないだけではなく、クリエータの存在を第一に考えるものであるはずで、そのためには楽曲の利用制限を緩める必要もあると思う。