投稿日: Jun 18, 2013 12:16:4 AM
都議選で思い出したこと
50年ほど前のニュースで覚えていることがいくつかあるが、最後のチョンマゲ少年というのがあった。その子の家系の問題でひい爺さんだったかが男子はチョンマゲをやりつづけることという遺言か何かを残していて幼少のころからそれを守ってきたが、やはり小学校に通うようになるとムリだろうと親が判断して断髪式を行ったニュースだった。
50年前というとビートルズやローリングストーンズがデビューしつつある時代だったが、当時の日本はまだ江戸時代の雰囲気があちらこちらに残っていた。今では日本は明治維新以来モダンな国になってアジアの諸国とは違うという印象もあるだろうが、果たして50年前の暮らしはそんなにモダンだったのだろうかと思う。
当然ながら街にチョンマゲの人は居ないし洋服を着ている人が主であったが、おばあさんは和服が多かった。そしてパンツを履かない人も居た。キモチが悪いというのである。男もふんどしの人が居た。これは六尺ではなく、手ぬぐいに紐がついた程度のものだった。海女はほぼスッポンポンで海に潜っていた。その様子はTVのニュースなどでも映っていた。夏の土木作業はふんどしのTバック姿の人もいた。普通の人も白いステテコで街を歩いていた。
当時私の家族は名古屋に住んでいて、地下鉄工事が始まったのだが、建設資材は馬が運んでいた。材木を扱っているところにも馬がいた。当然馬糞は落ちていた。繁華街の路地裏は小便の臭いが立ち込めていた。中卒の「金の卵」を雇っている中小企業では、勤労のご褒美に売春を利用していた。小料理屋風の安い売春があちこちにあった。
おめかけさん・二号さんも堂々と暮らしていた。社長になると二号さんが居るのが男の甲斐性のように思われていた。接待・贈収賄は派手に行われていた。お得意さんを接待するのに相手の家族ぐるみどこかに連れて行くことがあった。盆暮れの付け届けもハンパなく豪華だった。社員旅行は家族ぐるみだった。
当時50年後にコンプライアンスとか経営の透明性が叫ばれるとは誰も思わなかっただろう。日本人の内心が完全に変わったわけではないだろうし、未だに飛田に行けば遊郭はあるし、犯罪が減った気もしないが、社会的な体面の常識というのは、欧米の人に後ろ指刺されない程度にしようと努力したのだろう。別の言い方をすると体面だけ欧米化したのではないだろうかと思う。八ッ場ダムでも原発でもビジネスをしている人の本音がチラチラ見え隠れすると、これは論理的な話し合いが通用しないだろうなと思うし、心の中はチョンマゲ時代ではないかと思うことがある。その典型は選挙かもしれない。