投稿日: Nov 24, 2011 12:6:42 AM
DTPの先の時代の組版を考える方へ
記事『「読む」と「書く」の将来』ではePub3.0で決まった緩い縦書きの先に、もっと複雑な縦書きの仕様が検討されるのか、どうだろうかを考えていた。これは、そもそも縦書きは中国の木版書籍のように必ずしも複雑なものではなく、むしろ活字による出版の時代になって発明した要素が多くあり、今も組版仕様を決める際に悩みの種となっている。手動写植の時代は見た目の再現は如何様でも可能であったが、赤字直しが困難なので、複雑な縦組みは活版にかなわなかった。電算写植・CTSの時代になると、特定の事典辞書などのためには相当複雑な組ができるプログラムが作られたが、高校の古典の参考書のようなものを、その都度出版社の意向に沿うように組む汎用の縦組みシステムは難しかった。
つまりCTSで組むことはできても、標準よりも踏み込んだ出版社の意向は我慢してもらわなければならなかった。DTPの時代になってWYSIWYGで手動写植のように見た目を調整できるようになり、CTSでの不満も吸収できるようになった。しかしそれは根本的な解決ではなかったので、リフローするeBookのような組版機能を内蔵したものにデータを転用することはできない。それが今日のEPUB3.0議論の出発点である。別の言い方をすると、InDesignのようなDTPから吐き出すタグ付テキストデータは純粋EPUBデータにはなり得ない点がある。これはEPUBを多様な表示デバイスで使う場合に不都合である。今はiPadやiPhoneで表示できればEPUB完成と思いがちだが、記事『EPUBはどのように浸透するか』に書いた今後を考えると、ちゃんとEPUBの入力・編集システムを作る必要があると思う。
日本でも縦組みはどうあるべきかというレベルの議論はないので、次ステップの縦組み仕様を考えようとすると活版時代の発明に戻ってしまうのだが、縦組み仕様がいっぱいできれば、立派な縦組みができると考えるのは間違いである。だいたい立派な本というのはゆったりしていて、複雑な組版はしていないで、フォントや基本組体裁などタイポグラフィ的に練られたものが多い。複雑な組版は、狭いエリアに小さい字で詰め込んで組む際に、作業上の不都合がたくさん出るので、その時どうするという作業基準をたくさん作らなくてはならないから起こったものである。これは編集上の約束でありながら、読者もそれを理解して目線を動かすという、両者の暗黙の了解を前提にしていて、誰かが勝手に作るものではない。
さて電子ディスプレイで文字を見る際に、狭いエリアに小さい字で詰め込む必要があるのだろうか? むしろ立派な本の練られたタイポグラフィを踏襲した方がヒューマンインタフェース的にはよい製品になるのではないか? 今組版議論をしても活版作業を知らない人ばかりなので焦点がボヤけることがある。句読点のブラ下がりは元は読者のことを考えたモノではなく、赤字直しの作業性から来たものと昔聞いた。活版では1文字挿入があると以降の行がすべて1字追い出ししなければならなくなるのを早めに止める効果があったが、CTSでは追い込んで他行への影響を防げるから、ブラ下げはなしにできるのでそうすることが増えた。
活版由来の組版仕様を一旦リセットするにも、活版とはどういうものだったのかを知ることが必要で、これは今日では結構難しいかもしれない。