投稿日: Aug 10, 2013 12:16:59 AM
発明と適用は別のアタマが必要
ビクターのマークで有名なニッパー君の絵はリメイクされたもので、元絵はエジソンの蓄音機を描いていることを知った。ニッパー君の飼い主は絵描きさんであったが、亡くなったのでニッパー君は弟の絵描きに飼われることになった。そこで亡き飼い主の声が蓄音機から流れるとニッパー君がやってきて、不思議そうに覗き込むので、その様子が絵に描かれ、タイトルが "His master's Voice" とつけられた。
この絵描きさんはエジソン・ベル社に絵を買ってもらえないかと打診したが、「犬はレコードを聴かない」と相手にしてもらえなかった。その後ベルリーナ・グラモフォン社が蓄音機の部分をエジソンのではなく、同社の蓄音機にしてくれるなら買うということで写真下の絵ができた。この会社は絵を登録商標にし、その後会社ごとVictor社に引き継がれた。
エジソンは蓄音機の発明者ではあっても、エジソン・レコードは蝋管という円筒方式を普及させるのに失敗し、後に円盤レコードも作るものの倒産した。エジソンレコードは私の子供の頃までは存在した。円盤レコードには100年ほどの生涯があり、20世紀の多くの音楽遺産がレコードのおかげで後の世代に受け渡された。
エジソンは録音する機械をビジネスにしようとしたのに対して、ベルリーナ・グラモフォン社のような円盤レコードの会社は再生装置だけを売るビジネスを考えていた。つまり技術の問題ではなく、マーケットの考え方の違いである。ソニーがWalkmanという録音できないテープレコーダーを出したようなことが、100年前にも起こったわけである。
エジソンは発明のコンセプトにこだわり続けていて、別の視点から用途を考え直すことができなかった。一方のベルリーナ・グラモフォン社は居間の調度となる家具調の蓄音機を作る会社で、そもそものモデルは家で楽しむオルゴールである。オルゴールにも歴史があり、当時は円盤方式で楽曲が取り替えられるものが売られていて、蓄音機はそのオルゴールの外形やビジネスを踏襲していた。
当時は実際の音の響きはオルゴールの方が鮮明であったろうが、肉声は再現できないので、蓄音機は声楽で伸びた。その頃のマイクの無い録音方式では楽団は非常に扱いづらかったからである。
今考えると、なぜエジソン自身がオルゴールの置き換えという市場でビジネスを考えなかったのかと思うが、エジソンの想いとしては、あくまで録音できることが画期的なのだから、いろいろなものを録音してもらいたいとこだわったのだろう。しかし実際には録音の方法も録音できる時間も制約が多く、アタマで考えるようには使ってもらえなかった。
エジソンは用途に関していろんなアイデアを書き残していて、新聞記事とか小説なども口述筆記ができるようになるとか、後のカセットテープレコーダのようなことを中心に考えていたようである。
やはり発明と適用は別のアタマが必要だということだろう。エジソンとは逆に発明をせずに適用で大成功したのが晩年の Steve Jobs であるともいえる。