投稿日: Jul 29, 2011 11:58:36 PM
「まだ見ぬ世界」を描こうとしている方へ
日本が得意としていたものの代表に、大量生産の工業製品を高品質に作ることがあった。これは国民性とか伝統とのつながりがあることで、真似ようと思っても真似られにくい特性でもある。しかし伝統という点では中国は日本と通じる点があって(というよりも日本の伝統工芸の元はたいてい中国由来)、日本でやってきた安価に高品質の生産をする方法は中国に移って行った。中国では日本人のように几帳面に仕事をしてもらえないと思われた時期もあったが、ユニクロに代表されるように地道に現場の指導をすれば、仕事のクオリティはそれほど変わらないものとなり、それはパソコンやスマホなどの生産にも引き継がれている。
Appleの大成功は台湾の会社と一緒に中国の工場をうまく活用したことにあり、脱PC・情報家電という点ではソニーを凌ぐようになった。つまりそれまでは日本のコンピュータや家電の大手メーカーのように設計から部品作り・組立て・販売を一貫して行えるところでないとデジタル機器のビジネスができなかったのが、それぞれが水平分業になったので、特に設計のところに特化することでSteve Jobsの才覚が発揮できた。
AppleはiPod以降のデバイスではハードとソフト・サービスを分離していて、ハードの設計においてはこれから登場するであろう新世代のソフト・サービスの提供者のためのプラットホームを提供するという姿勢が特徴で、日本の電子書籍端末が過去の紙の本の再現しか考慮していないために、いかにもショボいものにしかならないのとは対照的である。Steve Jobsのような「まだ見ぬ世界」を前提にプラットホームを設計できる人は、Bill Gatesが引退後は他にいなくなってしまったように思えて寂しい。
日本人の真面目さは、すでに目標がはっきりした際には高品質のモノ作りに向かえるのでプラスになるのだが、「まだ見ぬ世界」に向かうのにはマイナスになっていると思える。「まだ見ぬ世界」から自分たちの目標を見つけ出すことができづらいからである。それは「まだ見ぬ世界」に関して議論ができないことで、今日の現状を拘束している諸条件が変わったり取っ払らわれた仮定を描けないので、ソフト・サービスの進化が思いつかない。一般的には思考の柔軟性とか
臨機応変な考えにつながることだろうが、それを企画や設計という仕事のマネジメントの中に組み入れるくらいにしないと、「まだ見ぬ世界」の議論は「発散」に終わってしまう。
これらは大勢が似た考えを共有することを良しとする大量生産の大きい職場と根本的に違って、一部の天才とそれをサポートする秀才達を核とした小さな職場が活躍するもので、同じ会社で同居することは難しいだろう。
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