投稿日: Jan 14, 2015 12:11:42 AM
年をとると目が悪くなり手先の器用さも肉体的持続力も衰退するのだが、昔と同じように暮らせているのは、体がいろんなことを覚え込んでいるからだと感じる。包丁で食材を細かく切っていくときも、実は目は刃のところをよくみてはおらず、食材を押える左手が刃にあたる感覚で切り進んでいる。よく板前さんが器用な切り方や剥き方をしているのも、目で見て腕や手先の筋肉をコントロールしているのではなく、おそらく手先の感覚だけでできるようになっているのだと思う。夜中にトイレに行くにも、ほぼ目をつぶっていても行き返りできるように体は覚えてしまっているのでないか。
これは昔、インダストリアルエンジニアリング(IE)が流行った時に、効率よくミスが少ない作業方法を工夫するには、体が自然に動くような作業方法にしなければならなかったのと同じである。モノをつかんで取り付けるような作業でも、左右の手がクロスしないとか、体の自然な動きで一連動作ができるとか、道具の置く場所でも、取りやすく戻しやすく、紛らわしくないようにするとか、分析や技法として発達してきたものは、体が覚えてしまうという性質をうまく使っていることになる。
しかし単に体に覚えさせれば作業効率が上がるわけではない。体が覚えるようなやり方が最適なのでもない。そういうことをすると個々人が勝手なことを体で覚えてしまって個人差が大きくなってしまう。生産でも事務処理でも組織的な活動では野球のコーチのように選手の攻守の能力を揃えながら上げていくことが必要になる。
たとえば細部へのこだわりとか、逆に細部の軽視というばらつきが個人にはある。仕事に必要以上のこだわりを体が覚えてしまってはいけない。作業のマニュアル化とか標準作業を決めるのには、余計なことを覚えさせてしまっていけないという面もある。余計なことをしがちであるのは日本人が陥りやすいところでもある。
コンピュータの場合はマンマシン・インタフェースがIEに近いが、WYSIWYGになってマウスが使われるようになった程度で、実は意外に発達していない。今は多くの仕事がパソコンで行われるようになっているので、その仕事の作業性向上を考えると、ハードウェアやOSやアプリ以外に、利用者側の操作習慣というのが効率の大きなキーとなる。ファイルの名前の付け方とかフォルダ構成とか、バージョン管理とか、またアプリの操作方法もIE的な改善が利用者側に委ねられている。
そのために新人を作業場に投入するには、単に「Adobeの何々が使えます」ではなく、保存・上書きのミスをしないようにとか、こまめなバックアップとか、やるべきではないこととか、いろいろ覚えてもらわなければならないことがあって、初期教育が必要になる。こういうところのノウハウはまだ個別企業内に留まっていて、一般には意識されていないかもしれない。その証拠がIE的に考えると無法地帯のようなEXCELの使われ方である。
IE的な教育をしないで「同期」などを使わせると、何が起こっているかわからない状態になりそうで怖い。
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