投稿日: Aug 05, 2013 12:5:13 AM
発想力が貧弱にならないように
最近のLINEの隆盛に反応して、青少年・若年者のLINE中毒を取り上げる番組や記事が多く見られるようになった。スマホへ依存とか、過剰なケータイ利用とか、その前にはポケベルを女子学生が夢中になりすぎなど、デバイスの変化に伴って中毒のターゲットは変化し続けた。言わずもがなであるが、このようになるのはLINEのせいでも、スマホ、ケータイのせいでもない。だからLINE、スマホ、ケータイなどが問題だという指摘は表層的すぎて、それらの利用制限をすることは何の問題解決にもならないことを証明している。
日本は何か騒ぎが始まると、「問題だ!」といい始めて、規制することにとりかかり、規制の制度などができると一安心するという奇妙なサイクルを繰り返している。日本だけではないかもしれないが、表層的な問題を取り上げて論じるのは楽であるし、そういった議論を通じても一般大衆に対する啓蒙の効果はあるので、実際は規制がうまく運用されているかどうかは別として、騒いだことの効用はある程度はある。
ソフトウェアのコピー問題でも、時々誰かをスケープゴートにして騒げば、自主規制はされるようになるので、わざわざ金をかけてコピープロテクトをするとか、違法行為摘発のための監視や活動など、運用面にあまり金をかける必要は無い。しかしそういった表層的な対応だけをしていては、ソフトウェア販売のビジネスは育っていかない。利用者からすれば、実際に使ってみて役に立つなら金を払う価値があると判断するので、お試し版とか試用期間などの利用促進策をすることが、適法なビジネスを育てることになる。こうして正規販売版以外の試用のために開発や運用の手間がかかるくらいなら、サーバ版を利用させるとかASPとかのオンライン利用に本格的に移行したほうがよいことになる。
つまりパッケージメディアの課題はオンライン利用にすれば解決するとすると、ソフトウェアそのものではなくビジネスモデルを作り替えなければならないし、クラウド環境をどう提供するのかというところに技術の焦点も移っていく。このことは現状での問題発見に対して、技術の変化予測を見越した上での、近未来的な問題解決を考えなければ、デバイスや環境が変化するごとに永遠にいたちごっこのようなことを繰り返さなければならないことを意味している。
冒頭のLINE中毒などに対しては、現状のSNSがまだLINE利用者のようなニーズを汲み上げられなかったことをあらわしているので、LINEの先のSNSはどうなるのかを考えなければならない。これは前述の「技術の変化予測を見越した上での、近未来的な問題解決」であるが、そういう大仰なテーマにしてしまうと日本人にとってはとっつき難いかもしれない。しかしAppleのiWatchや、GoogleGlassなどは、指先入力の必要の無い一歩先のコミュニケションを準備しているようにも思える。
日本のIT企業が儲かった際に優秀な人を集めても、その人たちにふさわしい課題を与えることができなかったことが多かった。近未来的な問題解決の発想力をもっと鍛えなければならないのではないか。