投稿日: Aug 31, 2015 12:34:57 AM
今日ではクラシック音楽以外は、アメリカの黒人音楽の影響を何らか受けて今に至っているのだが、この黒人音楽を非黒人がどのように見るかについては、何度かパラダイム転換があったし、未だにまとまった知見というのは無いように思う。つまりいろいろな人がめいめい個人的インスピレーションとして、たまたま巡り合った黒人音楽のことを語っているということが続いている。
その理由は公民権運動の頃までは隔離されていた黒人社会の中でどのような音楽があったのか、我々は一部のレコードを通じてしか知り得ないのであって、レコードにならなかった音楽についてはごくわずかな社会学者のフィールド調査の音源しか聞くことができないからだ。
だから世に出たレコードから逆に辿って、そのレコードを産み出した音楽シーンや音楽環境を考えることになるのだが、そんな面倒くさいことをする音楽ファンは殆ど居ない。世界に何百人くらいかもしれない。
一般には冒頭のパラダイム転換がその都度話題になってきた。Jazzが評価されたり、エルビスプレスリーが顰蹙を買いながらも爆発的に人気を得たとか、黒人音楽がロックという衣装をまとってpopsチャートにはいるとか、イギリスの若者がカバーソングで世界に躍り出るとか、discoブーム、hiphopブームなど、時代が下がるに従って非黒人が黒人音楽のいろんな領域にのめり込んでいっていることを指している。いいかえると自分たちの音楽をするネタとして黒人音楽の引き出しを順次開けてきたのだといえる。
しかしこういった黒人音楽に勝手な分類をしているのは非黒人なので、そこを起点に考えても黒人音楽の引き出しの全容はわからない。特に1960年頃は白人がよくわからないまま黒人ミュージッシャンを発掘しては録音をすることが多く行われていて、今考えると無茶苦茶なプロデュースであったりするのだが、それは仕方ないことなのだろう。当然そういったレコードは売れないし、今では殆ど手に入らないのだけれども、一面の真理のようなものはあるので、資料価値が出てオークションで高値になっているものもある。
はっきりいえることは当時は何しろレコーディングを体験したことのない人で凄い黒人がいっぱい居たのである。アメリカでは白人ミュージシャンでもプロとアマの境は曖昧ではあるが、黒人ではなおさらで、チェスレコードの倉庫の壁のペンキを塗っているオッサンがマディウォーターズであったり、 スタジオやライブのミュージシャンは昼間はバスの運ちゃんだったり警官だったりした。ミュージシャンが「文化人」として見られることはなかったのだろう。
これは逆に低所得労働者にしか見えない人なのに凄い音楽をやるということでもあり、ミュージシャンと聴衆はフラットな位置関係で、非白人の世界から黒人社会の音楽がわからない理由でもある。日本のギョーカイでは考えられないのだが、しかし昔のことで河原乞食とか吟遊詩人というのはこういう立場だったのかもしれないとも思う。