投稿日: Dec 10, 2011 12:22:40 AM
従来のビジネスの土台が崩れていると思う方へ
CD-ROMが登場した時のことを想うと、パソコンのハードディスクは20MB程度だったので、CD-ROMほどの容量のHDDは100万円くらいしたは ずだから、百科事典がCD-ROMに収まって媒体原価100円になるというのは驚異的な出来事だった。しかしそれから四半世紀経って、SDメモリが4GB で500百円とかになってしまうと、デジタル媒体の容量単価はCD-ROM登場時の1万分の1になったわけで、半導体メモリがCD媒体に置き換わった。 iPodなどの音楽プレーヤーの爆発的普及を支えたのがフラッシュメモリであった。フラッシュメモリはデジタルカメラにおいてもフィルム消費をなくしてしまった。
メディアのデジタル化は、アナログの時には紙なりビニールなりテープの形があったメディアが形をなくしたことでもある。今は形はデバイスにあり、デバイスにはモノとしての寿命がある。そこでメディアのコンテンツである文字・図像・デザイン・レイアウトは、デバイスが変わっても 寿命があるように、データの独立性、つまりデータの標準化が求められることになる。デジタルカメラの開発会社は限られているので、exifのような標準化 も早くから行われたが、電子書籍ともなると作る側が無限に居るので業界がまとまって標準化をすることはできなかった。
しかし標準化が進まないとデジタル化を継続することはできず、技術の変化のたびに変更を余儀なくされて疲弊して終わってしまう。ePub3.0で日本提案 が規格化された意義は、3.0の仕様がどれだけ日本の文化を守るかどうかではなく、国際的な標準化に日本も加わることができたことであろう。つまりこれか らも日本国内だけのニーズであっても、国際的に認知されるような方法で実現させないと、グローバルなデジタル技術を活かすことができなくなるからだ。
日本のもう一つの課題は従来の系列化された流通である。ネットでの買物は、商品を見つけるところと、商品を比較するところ、また商品の申し込みをするとこ ろ、課金・決済をする方法、配達をするところ、支払いをするところ、などが異なる層のように別ビジネスとして重なっていて、リアル店舗で販促からの販売の 垂直なビジネスではなくなる。このために従来の垂直的指向の広告も効力が落ちてしまう。つまりそれぞれのサービスにおいて、いろいろなところと連携する必 要がでてくるが、既存の系列化されたビジネスに慣れすぎていると、顧客に多くの選択肢を提供することができないで、利便性が悪いと思われてしまう。
コンテンツからビジネスの流れまでデジタルとネットでオープン化するにしたがって、そこでの標準が自分のビジネスの追い風になるような戦略が必要になる。