投稿日: Dec 12, 2015 1:1:17 AM
10年ほど前から電子黒板とか設置が始まり、学校の教室のIT化というのが何度目かの話題になり出した。1960年代のテレビやテープレコーダーの普及の際にも視聴覚教育が叫ばれて、学校に語学学習の教室が作られたり、みんなでNHKの教育テレビを見たりしたことがあった。その後も情報技術の進展とともに、いつも教育のIT化というのも話題の一角にはなるが、最終的には置き去りにされてきたように思う。それほど学校教育とITのそりは悪かった。
電子教科書のことを過去にも取り上げたことがあるが、日本では目標自体ががだんだん先送りになりつつある。勢いづいていた韓国でもペースダウンをしてきているようだ。こういう教育のIT化の課題の原因ははっきりしていて、トップダウンが効かないことで、教育というのは教室という現場からのボトムアップで成り立っているからである。
電子黒板も電子教科書も間違いではないが、それらの利用環境をどうするかについて知恵が回っていないということだろう。
日本の教育IT化の施策も電子黒板の導入とかハードウェア先行で引っ張っていたようだが、大型液晶パネルのようなものはかつて何十万円もしていた60型が今では十何万円になってしまったように、先行投資した方が無駄になる。これはメーカーを養うためにやっているとしか考えられない。むしろ個別には行い難いコンテンツの先行投資を国がするべきである。国宝の写真を教科書に使おうとしたら、各出版社が寺と個別にライセンス契約をしなければならないような事情があるので、少なくとも公教育に必要な素材の権利処理くらいは国がやっておくべきではないかと思う。
それと教え方をトップダウンにするのはマズくて、やはり幅のあるものとして、先生や学校の個性が出るようにしないと、教育の多様化はできないので、学校・学科とか、さらには先生個人が教材を用意しやすいクラウドサービスのようなものも必要だろう。
世の中にはよそでやっている教育に文句をつけたい人もいるので、そういう人は「これを教材として使え」という投稿がネットにできるようにして、単にケチのつけ合いに終わらないようにすることも重要だと思う。
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