投稿日: Aug 06, 2014 12:27:30 AM
この写真は長崎への原爆投下の前(左)と後(右)の航空写真(クリックで拡大)である。アメリカのサイトで見つけた。
8月15日が近付くにしたがって第2次大戦関連の番組が増えるが、近年は戦争体験を語り継ぐことの困難さというテーマが多くなっている。人を戦争に駆り立てるのにマスメディアは大きな役割を果たしたわけだが、戦争体験の風化にも大きな役割を果たしている。つまりマスメディアで戦争体験を語り継ぐことは難しい。これはマスメディアに何らかの意図があるとか悪意があるという意味ではなく、マスメディアはアーカイブではないからである。マスメディアは瞬間湯沸かし器のように一時だけ強力に働いて、人の向いている方向を適宜あちらこちらに切り替えることしているからだ。
人々は何の大ニュースもない時には新聞をあまり読まない。戦争でも勃発すると新聞が売れるようになる。またブラックマンデーとかリーマンショックになるとウォールストリートジャーナルが売れる。それに対して何かを語り継ぐというのは、人々の日常の中でおこなわれるものであって、学校教育に組み入れるのも語り継ぐことにはならないと思う。
マスコミが貢献できるとすると、過去の戦争関連番組をアーカイブにしていつでも見られるようにすることぐらいだろう。
1960年代に学生運動が勃興したのは、第2次大戦で生き残った人が過去の20-30年間の体験を茶の間で語り継いでいたからで、どこかで思想教育とか洗脳がされたわけではない。むろん日教組のせいでもない。しかし戦前戦中の体験というのは人それぞれで、思想教育とか洗脳に比べるととりとめのないものであることが、学生運動が政治運動には発展しなかった理由であると思う。
私は母親が働いていたので半分以上は祖母に育てられたようなもので、祖母の意見と父母の意見が微妙に食い違う中に居た。また親戚もそれぞれ戦争体験をもっていて、法事の際には南方に行った人、シベリアに抑留された人、亡くなった方の遺族、それぞれが戦争体験を語っていた。こういう多様な戦争体験を総合して考えることが戦争とは何かを考えるための土台になると思う。
南京虐殺がどうだったのかとか慰安婦が云々ということを、丸でいついつの事件を検証するかのように詮索しても、いまさら決定的な証拠はなく、戦争とはどういうものであったのかという文脈で考えるしかないと思う。戦時中には正確な情報は把握されておらず、当事者が聞いた話も正確とはいえず、しかも個人の見た体験は非常に断片的で、それらを証言として何かを組み立てようとしてもなかなか整合しないからである。
個人が戦争体験を語ることが無駄であるといっているわけではなく、あまりにも断片的なものに左右されるのがいけないわけなので、むしろもっともっと聞き出さなければならないと思う。戦後に戦争体験を自費出版にした方も大勢おられたが、それらは今はほぼ手に入らない。創価学会も過去の出版物を見たら、今集団的自衛権に賛成している公明党が信じられないだろう。つまりマスコミだけでなく日本は戦争アーカイブがないことが、語り継ぐことが萎んでいく一因ではないかと思う。
欧米よりも日本の方が第2次大戦情報に関して風化が進んでいるとすると、第2次大戦後の核家族化によって親族のコミュニケーションが減ってしまったからではないか。母の生前に電話をすると、必ず親戚の誰がどうしたという話題が始まっていた。オレオレ詐欺も親子で共有する情報が少ないことに原因があって、親族しか知り得ないような情報のやり取りを日常的にしていると、他人が騙って入り込む余地はなくなる。戦争の風化は人間関係の風化という面もあろう。
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