投稿日: Jan 04, 2013 1:50:39 AM
レコーディング技術が音楽多様性を助ける
ロックの起源としてbluesという黒人音楽が取り上げられることがあるが、白人のロックグループが直接聞いてレパートリーとして取り上げていたbluesというのは、殆どが1950年代後半から1960年代初めのGuitar blues に限られていて、それらは1960年代にはすでに商業音楽としては衰退していた。記事『文化としてみた場合のコンテンツ』では、戦後のcountry bluesの典型的であったLightnin' Hopkinsでも、黒人社会向けにレコードを活発に出していたのは1954年までであることを書いた。その後に音楽活動をやめたのではないが商業音楽としては白人マーケット向けになるのと、黒人向けはローカルなライブが主体になるように変節したのである。
このことを下図にしてみた。記事『ソーシャル時代に合わない権利処理』でエルビスプレスリーのデビュー曲“That’s All Right, Mama”が録音された1954年というのが、その原曲を作った黒人のアーサー・クルーダップがRCAをクビになった年でもあることを書いたが、この出来事は黒人のGuitar bluesが1954年には商売にならなくなったことを象徴している。この後は白人のロックミュージシャンに紹介された黒人のレコードがポピュラーになるように変わった。ロックファンはあまり考慮しないことだが、白人のC&Wミュージシャンもエルビスプレスリーの取り上げたような黒人bluesをよく歌うようになっていった。皮肉なことに現実はエリッククラプトンよりはC&Wの人のほうがbluesがうまかったりするのである。
つまり音楽シーンというのはレコードや大規模なコンサートでは把握しきれないところがたくさんあって、レコードの技術や流通網の変遷によって、そこに乗る音楽は左右されているからである。だからレコードの統計で音楽シーンを推測することには無理がある。特に黒人音楽は昔はごく一部分しか録音されなかったのに、その録音された一部を黒人音楽の起源であると考えがちで、それは間違っている。図の黒い部分であるローカルな黒人のライブ活動は部外者には見えないものであるので、後に黒人音楽のレコードが多様化していったことから逆算して Black native music を考えるべきことを、記事『ギターを持った黒人(3) ギターを持った黒人(2)』で書いたが、黒人のGuitar bluesが衰退すると同時に、そこで活動していた人はR&B、Gospel、Soul、Jazz、Funk、Rockなどいろんな分野で活動を続けたので、むしろGuitar bluesの枠を超えた音楽も生まれ、その典型がJimi Hendrix でもあった。
Guitar bluesというのはレコード史の最初の頃のアコースティック録音の制約下では、比較的きれいに録音できる音楽形態であったので、その部分が戦前に発達したのだが、その後録音はマイクとテープレコーダーを使うようになって、それまでうまく録音できなかった大規模な楽隊もきれにレコードに出来るようになった。黒人音楽でいえば、いろんな楽器を使ったR&Bが発展するように変わったのである。それは78回転の時代はまだ再生装置がアコースティックであったので、きれいには聞こえなかったが、1949年に誕生し1950年代中ごろには普及した45回転盤の時代になると、同じ楽曲ならギターの弾き語りではなく、R&Bバンドのついたものが好まれ、弾き語りのレコードは再録音されるように変わって、country bluesはurban blues に置き換えられていったのであった。(その時流にうまく乗ったのがB.B.Kingでもあったが、その話は別の機会に。)
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