投稿日: Sep 14, 2013 1:37:49 AM
文化の共通項と政治
最近は日本のサラリーマンの何パーセントは海外出張や赴任の経験があるように、日本の経済や文化がグローバルになるに従って、外国嫌いとか排外主義というのも嵩じてしまう人も目立つ。かといって人種侮蔑デモに参加する人が日本の文化をよく知って愛しているかどうかは定かではない。むしろ中国や韓国に対して攻撃的な態度を示す人は、あまり日本という国の成り立ちに気を払っていないように思える。日本の文化や国の制度の起源がそれらの国とは不可避であることは、誰でも学校で習ったはずだ。
私は関西で生まれ育って京都でも何年か居たので、風習や地名や旧跡からして渡来人や渡来文化の上に自分たちが居ることはデフォルトで、だからこそむしろ中国や朝鮮には興味が全然持てずに、むしろアメリカの黒人文化や文明化されていない社会に興味をもった。京都の大学に居た時にお寺や神社に行ったことは一度もなかった。しかし後に中国や韓国を訪れる機会があって、改めて両国と日本のつながりを印象付けられた。渡来に関しては多くの資料があるのでここでは述べないが、こういう文化面と現代の政治とは切り離せるようで切り離せない悩ましいものがある。
中国文化にリスペクトのある人でも現中国政権を嫌いな人はいくらでもいるだろう。日本の場合、逆はないかもしれない。中国共産党支持だけれども中国文化は嫌いというような。これは日本文化が中国文化を否定しては成り立たないというか、矛盾をはらんでしまうからだ。田母神氏も孔子学院に反対はしていても自分の文章では孔子の引用はしている。世界から見ると漢字・漢語で伝えられた日本の世界観・価値観というのは中国の亜流だからだ。
キリスト教であっても日本では『天』『神』『信仰』などの漢字・漢語を避けられないので、その元となった古代ギリシア語の素養が神学に必要になってしまう。
極論を言えば、我々日本人は中国の少数民族の1つだというくらいのつもりで、中国に対して協調もすれば、主張もすればよい。それには中国人と同等の交渉能力をもつ必要があって、中国に屈するという意味ではないから、日本列島に閉じこもって遠くの方からヤジを飛ばしているだけでは済まなくなってしまい、今の日本の状況よりはもっともっとタフであらねばならなくなる。
つまり日本の島の中でヤジを飛ばしているだけというのは、相手にとって痛くも痒くもないし、一目置かれる存在には成りえない。これはむしろ負けている姿である。中国に一目置かれるようになる例として、中国の少数民族の自治がさらに自立的になって発展し、しかも中央政府とは協調できるモデルを日本が提示できた時ではないかと思う。今はそれは台湾なのだが、今後は非漢民族がうまく漢民族を取り巻いて、よいバランスをつくることがアジアの安定的発展に必要だと思う。