投稿日: Feb 15, 2011 12:22:32 AM
Facebookで上がり、なのかと思う方へ
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Facebook利用者数が6億人だの7億人となると、もうソーシャルメディアはFacebookで決まりなのかと思う人もいるだろう。では日本のSNSはどうなってしまうのか、twitterもFacebookに吸収されてしまうのかなど、今年はソーシャルといえばFacebookを中心に考えてしまう傾向がみられる。しかしそもそもソーシャルメディアの定義とはなんだろうか? 今Facebookが提供しているところの個々の機能やサービスはそれほど新しいものは少なく、パソコン通信の頃からあったものがベースで、それがいつでも非常に簡単に使えて、多数の人を巻き込むようになったといえる。
このユビキタスでイージーなITの利用環境はソーシャルメディアだけでなくいろいろなビジネス機会を作り出していて、ソーシャルメディアの対極にあるのがAppleのようなブランド指向の閉じたサービスを売り物にするものだ。こちらも大変な勢いで、記事『ベンチャーを超えたApple』で書いたように、iPod・iPhone・iPadはコンピュータの世界を超えてグローバルに広まりつつある。Appleは新しい試みをしてはいるが、Facebookのようなオープンな展開ではない点では「新しくて古いブランド指向」でもある。
もし両者が会話をしたなら、「Zuちゃん(仮にSteveJobsがザッカバーグをそう呼ぶとすると)とこは巨大なゴミ溜めになって、崩壊するんとちゃうか~?」とSteveJobsが言うと、「マー爺(仮にメディア王ルパートマードックをそう呼ぶとすると)の囲い込みメディアブランド戦略に同調してたら(TheDailyなど)MySpaceみたいになるで~」とザッカバーグは言い返すかもしれない。それほどAppleの独自ブランド化というのは、今までマードックのFoxがMySpaceをコントロールしていた自前主義と似ている(内容的にはMySpaceが労働者的であるのに対してAppleはハイブローを装ってはいるが)。
確かにSNSの人数が多くなれば質は低下するだろう。だから何億人のフラットなソーシャルメディアというのは技術上の成果ではあっても、人々の必要を満たすものではなく、Facebookならばグループというのが発達していくことになるだろう。そうなるとブランドなグループ、リアルで言えばハイソサエティのようなソーシャルメディアや、MySpaceのようなソーシャルメディアなどに分かれてFacebookの外で発達して行き、一人の人間が幾つもの顔を持って、それぞれのソーシャルを使い分けるようになるだろう。リアルの社会ならそれがフツーである。
つまり開いた社会と閉じた社会は共存することになり、Facebookは人々の公式プロフとしてハブの役目を果たすとしても、一律のソーシャルグラフで人類が管理されることはなく、ネット上にもちゃんと排他的なハイソサエティも、怪しい「蛇の道はヘビ」も残るのではないだろうか。