投稿日: Sep 27, 2013 2:8:12 AM
やりたいメディアができる時代
この間、前田邦宏さんが始めた http://thinktionary.org/ のWhole Earth Intelligence 説明会に2度も出かけていろいろ考えさせられたのだが、日本でメディアを創りだす場合の難しさというか、読者対象の目論見がやはり欧米とはかなり異なってしまうことで、質の目標と量の目標のバランスがとり難いのだなということである。
日本の科学雑誌ニュートンやナショナルジオグラフィック日本版というのは一体どのくらい売れるのだろう?私の通っていた小学校には各教室に「子供の科学」が置いてあって、それを読んでいたことがエレクトロニクスを趣味にしたきっかけであったし、その後の読書嗜好や関心の指向にも影響している。
しかし日本では子供の科学を卒業する頃になると、かなり選択できるメディアが偏ってしまうように思えた。雑誌でも人々の話題でも(両者は同じなのだが)、一般的な傾向としてはモノ作りの工学系は盛り上がってもサイエンスには行かないし、時事ニュースが盛り上がっても、そこの興味が歴史にはつながって行かない。日本で中国の影響を排除したいと思う人が、日本の文化のかなりの部分が中国からの借用で成り立っていることにどれほど関心をもっているのかということを、記事『East Asian Union 構想(1)』では書いた。
結局日本では子供の好奇心が学問や自分の職業選択に向かうところの繋ぎ目となるようなメディアが少なかったのかもしれないなと思うようになった。家庭にニュートンやナショナルジオグラフィックが置いてあって、子供がさらにアカデミックな、あるいはプロフェッショナルな情報に興味を持つというケースは稀なのだろう。
アメリカではもっと敷居の低い"Popular Science"とかTime"LIFE"グラフ誌のような雑誌があって、きっとそういった子供から大人まで楽しめるようなメディアが人々の思考の広がりや深化に役立っているのではないかと思う。日本でもそれらを真似たような雑誌はいくつも作られたことがあるが、ネットの時代に水を得た魚のように躍進しつつあるかというと、全く逆のようで消え入りそうなのではないだろうか?
私は高校生の頃に旭屋書店や紀伊国屋で”Popular Electronics”や”Radio Electronics”を時々買っていたのだが、大学に入って直接購読をするとものすごく安いことに気がついて両誌をとりはじめ、大変楽しませてもらった。その最大の出来事はマイコンの登場を知ることが出来たことだった。ところがそれらの日本版が発売されなることはなかった。日本のエレクトロニクスは独自の道を歩み始めていたからであった。ある意味では日本の雑誌の方が最新で内容が濃かったのであるが、逆に日本になくて両誌にあるのはサイセンス的なセンスだと思った。
Wiredでも本家の方は随分とサイセンス的な記事があったのに日本版では省かれていた。日本人の嗜好には合わないと判断されたのであろう。アカデミックとかサイセンスというのが背後に無くても雑誌の成立には影響しないのであろうが、そういうものばかりを見ている読者が情報を漁るとか辿る場合にどうしても底の浅いことになりがちだ。
日本での悩ましさは、読者に嫌われない程度にアカデミックとかサイセンスを取り込んだ編集をしなければならない点だっただろう。むしろ今は紙媒体でなければ出版できないという制約がなくなったのだから、メディア本来のミッションを明確にしてそれを全面に出すようなネットメディアがどんどん出てきてよいはずだ。