投稿日: Nov 10, 2014 1:5:9 AM
ジャック・ブルースが10月25日に71歳で亡くなった。エリック・クラプトンらと「クリーム」を結成した時から50年近く経っている。クリームはジミヘン以前ではローリングストーンズ登場以降の革命といえる。つまりイギリスのロックシーンには、1960年代中期以降にローリングストーンズ→クリーム→ジミヘンという3つの大波があった。
ビートルズはロックというよりもポップスの革命的なもので、彼らは下積み時代のロック色をビートルズになって薄めていってポップス界も含めて大きな存在となった。ローリングストーンズは逆にアメリカの黒人音楽色を強めていった。クリームはプレーヤーの個性を強めていって、音楽形式に関しては破壊的であって、これも黒人音楽のある面を継承している。この頃からハードロックという概念ができてきたと思う。
ジャック・ブルースの足跡を振り返ると、今日のロックバンドというスタイルがどのように形成されたのかがよくわかる。彼がアカデミックな音楽から脱線して最初に接したのがジャズやR&Bで、当時イギリスでは著名なグレアム・ボンド、アレクシス・コーナー、ジョン・メイオールなど、ローリングストーンズの頃にさらに本格的黒人音楽に傾倒してた先駆者であった。しかし彼ら黒人音楽のカバーをしている段階ではアマチュアバンドとあまり変わり映えのしないもので、レコードとしての成功は無理である。でもこういったジャンルはその後世界中に出来ていって、今YouTubeをみても延々と演奏され続けているのがわかる。
エリック・クラプトンと共にクリームを結成するが3年ももたなかった。それは音楽性という点で各人が妥協せずにセッション的にクリエイトするグループの宿命のようなもので、ビートルズやローリングストーンズといったレコード会社のマーケティング戦略と共存して最大収益を目指す生き方に対して、プレーヤーが「ピンで立つ」生き方をした点でも大いに共鳴されたと思う。
アメリカの黒人音楽というのも、寿命の長いボーカルグループというのもあるが、バンドとしては基本はセッションであって、数人のバンドがずっと続くことはまずない。彼らも「ピンで立つ」生き方をしているのである。
先日ファミレスで隣の席のグループが、革ジャン+細身ジーパン+長髪+タトゥーの往年のロッカーたち(40代か)がバンドを再結成するミーティングをしていて、ついつい聞き耳を立ててしまったのだが、「各人がそれぞれ自分のファンに向けてアピールしていこう」みたいなところで合意していて、日本のロックもなかなか土台がしっかりしてきたものだなあと思った。
クリームから50年でハードロックの第一世代は次第に消えていくのだろうが、「ピンで立つ」ロックな生き方を残してくれたといえるかもしれない。
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