投稿日: Jul 18, 2014 12:40:16 AM
Johnny Winter が70歳で亡くなった。彼はいわゆるブルースブームの中で登場したブルース系ロックミュージシャンということになっているが、中高生の頃に黒人ブルースのレコードに刺激されてバンドをやり始めた白人の若者とは全く異なって、黒人のブルースのレコードを作る側に居た、生粋の白人ブルースマンでもあった。
Johnny WintrerがLPでデビューする前にローカルレーベルから出した45回転シングルは40年前はまだ売られていて何枚か買ったのだが、テキサスからルイジアナに接するあたりで当時黒人社会でよく行われていたR&Bやブルース曲をやっているし、黒人ブルースのバックでギターを弾いているものもある。彼は二十歳前から地元の黒人の間に入り込んで音楽活動をしていたのである。
1960年代半ばくらいでは、南部の一般の中産階級の白人は、同じ地域に居る黒人がどんな音楽を聴いているのか知らなかった。AMラジオを回せば黒人向け放送局があって、そこにはR&Bやブルースが流れていたのだが、一般の白人家庭とか白人の学校ではそれらを聴くことは悪だとされていたのである。
つまり「良い子」は黒人音楽を聴かなかった。しかし記事『音楽様式の相互作用』で、書いたように、黒人と同じ様な仕事をする poor white 達がいて、彼らはR&Bやブルースを一緒にやっていた。これは特にテキサスからルイジアナにかけての地域の特徴でもあった。白人でブルースをする人は少数ではなく自然に居たのである。
ただJohnny Winter が poor white であったということはなく、むしろその両親が人種隔離には反対で、子供が黒人の音楽に傾倒するのを制止しなかったということだと思う。あるいは両親も黒人と一緒に音楽をする機会があって、Johnny Winter も連れて行かれたのかもしれない。きっと彼の伝記があったなら、そこら辺の記述はあるはずである。
YouTubeで「凄い」ギターテクニック!とかの映像の多くは速弾きであったりするが、黒人ギタリストで速弾きはあまりいない。むしろ他のパートとうまく絡み合って醸し出すgroove感が大事なのである。実は私がJohnny Winter のLPレコードを聴いたのは40年以上前なので、ほぼ忘れてしまっているのだが、彼は白人のロックの世界に入ってしまった後でも、10代の時に彼のバンドが黒人と一緒に音楽をしていたことを財産にしていたのだろうと思う。
テキサス・ルイジアナは今に至るまで、白か黒かわからない音楽が生き続けていて、まだ Johnny Winter や Steve Ray Vaughan のような人が出てくる可能性はある。
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