投稿日: Aug 13, 2013 1:14:27 AM
サブカル作品は将来どうなる?
今日でも蚤の市や古物商の扱うものの中から、近代美術の巨匠の作品が出てくることがある。最近ではドラクロワとかルノアールの作品の発見があった。日本では王羲之の写しが見つかったり、テレビのお宝鑑定団でも貴重なものが民間で継承されてきたことがわかる。実際はお宝鑑定団に持ち込まれるもののうちで本当のお宝は例外的にしかなく、こういったお宝の言い伝え話の殆どはガセなのであろうし、蚤の市や古物商にあるものの99.99%も一見して「素晴らしい」とは思えないようなものであろう。
しかし眉唾であっても何らか謂れがあるとか、「ひょっとしたら」と思わせる要素があるとか、あるいは捨てるには忍びない何かがあって受け継がれてきたはずだ。私の爺さんが昔家を建てた時に祝いとして贈答された近所の若い画家の風景画が応接間に飾ってあった。それに対して家族はだれも「すごい」とはいわないが、「あってもいいんじゃない」くらいの感じで何十年か飾られていた。爺さんの死後にその家が取り壊しになる時に、一応古物商に見せたら、日本の画家の索引を調べて、今ではある程度の値が付く画家になっているらしく、何十万円かで引き取られた。売りにだされると200万円くらいかなと話し合っていた。
もしその絵に何百万円の値打ちがあるといわれたら、絵の内容の好き嫌いは関係なく売らずに相続されたであろう。つまた専門家に鑑定してもらわずとも、ある程度以上の価値がありそうなものは残るようにはなっているのだろう。しかし何をもって「価値がありそう」かというところが文化によって異なる。日本の浮世絵に対して日本人が価値を感じなくなっていた時代に、欧米ではジャポニズム・ブームが起こって、海外に多くの作品が流れたようなこともあった。明治以降は浮世絵は日本文化的な価値が感じられないようになっていたわけで、日本ではごく一部の江戸文化に通じた人だけが大切にしていた。
美術という世界の権威が認めたような作品の評価は急に下がったりはしないが、浮世絵のような通俗的でサブカル的なものは評価の上がり下がりが時代や場所で激しいということだ。今の日本ではちょうど浮世絵にあたるようなサブカルを創作する人が沢山いるのだが、彼らの作品は今後どのように扱われるのだろうか?
かつてのアナログな絵の場合はカタチが残るので、アカの他人でも「ひょっとしたら」と思って捨てないかも知れないが、デジタルコンテンツであると、アカの他人が保存に貢献することにはならないかもしれない。
これは音楽や動画に関してもいえることで、音楽もレコードやCDというカタチを失った段階で、アカの他人には認識できないものとなり、保存しようとする人は極端に限られてしまう。しかもネット上に出すことは権利問題があって自由に行わないとなったら、作品が生まれて10-20年後にその作品を知ることはできないことになる。今、人に知ってもらいたいならば、CCを付けて誰でもダウンロード可能にしておくことになるのだろう。そうでもしないと、その人がその作品を作ったということが何処にも残らなくなるからである。
その点、美術の世界は画家の索引があるだけでも大したものだといえるかもしれない。前述の若い画家は当時の収入としては生活の足しになるくらいはもらえたのだろうが、その後作品がいくらで売買されようとも本人にはお金は入らない。しかし創作の足跡を残しておくことが、評価の積み重ねにつながるのだろう。