投稿日: Jan 17, 2015 2:3:1 AM
子供の頃からFENなどを通じてアメリカの黒人音楽を聴いていたものの、人種問題という点ではアメリカという国がどういうところだか判らなかったし、それほど関心はなかったといえる。ところが公民権運動などのニュースを通じて少しづつ人種問題も判りはじめた。しかし黒人の生活がどういうものかというのは、実際にアメリカの南部に行くようになってやっと判から始めた気がした。南部は年に一度くらいしか行かなかったが、それでも20年も通っていると、それぞれの土地柄というのも感じるようになってくる。ローカル色というのを楽しめるようになるのは結構大変なことである。
前職では仕事の都合で南部の都市を訪れることがあったので観察したのだが、同じコカコーラの宣伝であっても、北部の都市部でやっている白人向けのものと黒人向けのものでは起用するキャラクターが異なるとか、当然ながら広告コピーが異なることがあった。雑誌の広告も同様で、黒人向け雑誌には黒人が好みそうな広告を作るわけで、なるほどアメリカはマーケティングの国なのだなと思ったことがある。つまりマーケティングという観点では、広告表現に何がベストというのがあるわけではなく、相手に合わせていろいろ作るのが広告なのである。これは日本人はあまり考えていなかったかもしれない。
オバマ陣営の選挙活動も同様に、ビッグデータを駆使する理由は、黒人向けには誰を起用してオピニオンを伝えるのか、ヒスパニック対象では誰に何を言わせればよいのか、大学生なら…何々世代なら…といういろいろなシナリオを作るのに、それぞれの対象層のもろもろのデータが必要になるからだ。
アメリカを文化的にみると、未だに南北戦争の頃と同じ習慣や意識の差があって、そこにさらに白人と黒人の差、白人の所得差などがいつも話題になる。過去から相当データは積み重なっていると思う。
また南部と言っても地域差が結構ある。私の場合はローカルな黒人音楽を集めるのが目的なので、そこからの経験でいえば、雪の降る所と降らない所には音楽でも差があるように思える。実際にはミュージシャンの移動があるので、黒人音楽をはっきり地域で区分できるわけではないが、このローカル色こそが黒人音楽の豊かさのように思える。
ローカル色は歌詞にも顕著に表われ、その最たるものは食い物の名前である。それも黒人の食い物だから、理解できるようになったのはずいぶん経ってからであった。世界中どこでもソウルやジャズやブルースは売られているだろうが、それらからアメリカのローカルな音楽に入って行き難い理由の一つは地域性の理解なのではないかと思う。
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