投稿日: Feb 16, 2013 1:10:40 AM
玄人と素人の間に
ビッグデータはAmazonに任せて、キュレータとして自分のビジネス領域に戻るのがよいことを記事『Amazon談義を総括する』で書いたが、昨日亡くなられた高野悦子氏のようなプロデューサセンスを持った方が活躍する時代になったと思う。氏は埋もれた映画の発掘をされたわけだが、コンテンツが商業目的であれドキュメンタリーであれ累積的に蓄積していくと、タイムリーな出番を逃して埋もれてしまうものも多くなる。しかしいくらそれらがデジタル化されて検索可能になったとしても、一般の人がそれらの価値を見出すことは困難で、やはり価値の代弁者たるキュレータとか批評家とか、場合によってはリメイクとか2次創作をする作家が出てこないと、再評価はされないだろう。
しかし批評家とか作家というプロの人たちが良しとするものと、一般の人が好む味付けとは、多くの場合に異なる。漫画雑誌ガロはいつの時代も変わらず評価が高いがワンピースのように売れることにはならない。だからキュレータの役割が一般人を対象にしてコンテンツの発掘をすることならば、その仕事の対象は2段階あることになり、第1はすでに目利きになっているクリエータとかマニアを刺激するようなことをしなければならないし、同時に第2にクリエータやマニアが評価の声を上げたのを聞きつけて近寄ってくる感度の高い一般人を意識することだろう。
高野悦子氏のされた仕事はそのようなものだったと思う。また美術展なども目利きの人だけを相手にしていたのでは集客が少なく、かといって一般人の好みだけでは同じようなものになってしまうので、両方をうまくあわせたようなキュレーションが必要になる。言い換えるとB2BとB2Cをあわせ持った立ち位置であるといえる。こういったキュレータの層の厚い国がコンテンツ立国になっていくのだと思う。日本の漫画やアニメのグラフィックスが世界にファンを増やしたのは、日本国内でも古今東西のさまざまなビジュアルが複製を通して日本に居ても見ることができるようになったからで、このような情報環境がない国のクリエータは欧米に留学でもしなければ修行できなかったはずだ。
そういう意味では日本の社会はコンテンツ立国にはよい段階にきている。しかし既存の作家さんだけに頑張ってもらって世界に通用する新たなコンテンツが生まれるとは思えない。ここでいわんとしているのは、クリエータを刺激する仕組みが必要であるということで、それはアーカイブをベースに出来ていくと思う。冒頭の検索可能になったデジタルのアーカイブから何かを発掘できる能力が問われているのであって、それが2次創作並びに創作の刺激になるからである。
今ネットの世界はアーカイブは出来つつあるし、B2Cのコンテンツの販売もできつつあるが、クリエータ向けのB2Bがまだ弱いように思う。