投稿日: Sep 15, 2010 12:2:46 AM
メディアとしてソーシャルは頼りないと思う方へ
新しいものへの期待は高く、「これからはソーシャル何々…」という呪文がこだまする折に、水をさすような言い方になって恐縮だが、暴走族や暴力団という社会的にネガティブなソサエティもこの世にはあるわけだから、ソーシャル力が高まることができれば何が素晴らしいのかを真剣に考えないと、子供が危険なオモチャを扱っているようなことになるだろう。過去において新たなメディアは社会の上流から普及したので、新聞もリテラシーの高い人向けの優等生的メディアとして登場したと年表には書いてある。しかし新聞が普及するにつれて、読者は大衆化していく。そして新聞といってもギャンブルや風俗を対象としたものまで出てくる。こういったことは年表には書いていないが、誰でも知っている。
日本でも欧米人なら利用するCraigslistは、以前なら新聞の3行広告のような local classifieds を扱うネット上のサービスで、Webの初期からあったSocialMediaの大先輩として、twitterよりもずっと多くの経験を積んできた。例えば、仕事の都合で行けなくなった何かのチケットがあるよ、と言えば欲しい人が見つかるようなもので、ネットのレスポンスのよさから、アメリカの新聞の牙城を崩す働きをしたサイトである。しかし利用がひろまるほどに、出会いとか犯罪に関するニュースも出てきた。Facebookでは恋愛目的という属性があるが、Craigslistになると露骨にセックス目的となる。あまりそういった比重が高くなると「自己責任」主義の寛容なアメリカでも風当たりが強くなる。今年はついに人身売買が載って捜査された。
デジタルメディアの敷居の低さと、通信分野の内容チェックの無さは、日本でも詐欺から殺人まで共同犯罪の温床のように取り上げられたりした。これはメディアのせいではないのだが、確かにポケベルは暴力団から広まった。しかし他方では女子中高生の必携アイテムになって、その流れでケータイ文化が出てきた。その後今に至るまでネットリテラシーの高い技術系男性と、その対照でもある若い女性がネット上のビジネスのマーケットを引張っていっている。ネットリテラシーが必ずしも高くは無い若い女性がネットに積極的なのはどういうことか? これは通勤電車の女性専用車両と同様に、「女の子だけ」的なサービスが作られていったからだ。日本最大のBlogサービスはミツバチワークスのデコログで8月の月間ページビューが60億を超えたという。このサービスの特徴は、出会い系やアダルト、コンプレックス商材などの広告を掲載せず、クリーンで健全なサイト運営が支持されているという。こういう日本の足元のソーシャルメディアを再考する必要がある。
だからソーシャルについては漠然とした期待や議論をするまでもなく、何が必要なのかは明白なのである。ソーシャルはマーケティング手法や技術の話ではなく、参加する意思の人々が居る事が前提なのである。つまり人々に群れようとする志向があるところに発生するのがソーシャルメディアである。その志向を尊重するような仕組みや運営が必要になる。ソーシャルの核となる人々が居ないのにソーシャルメディアの仕掛けをしても意味が無い。商品やサービスを買ってもらいたい人はソーシャルメディアに投資するのだろうが、そもそも核となる商品やサービスの強烈なファンが居ないことには、ROIは無いことになる。