投稿日: Jul 14, 2012 12:30:8 AM
なぜ、何もなかったと言い張れるのかと思う方へ
ハリーポッターのような全員が寄宿舎で生活を共にする中学校が日本にもある。そこの保護者の集まりに行ったことがあるのだが、軍隊のようなプライバシーのない寄宿舎生活ではいじめが起こらないという話をきいた。いじめになりそうな状況はありえるのだが、衆目の中ではある生徒たちが特定の生徒を継続的にいじめ続けることはできないという。つまりいじめは人目に見えるところと、人目につかないところで行われるという両面があって、人目に見えるところは自ずと制御が利くが、人目につかないところでは度を越したことが行われてしまうという傾向があるようだ。
寄宿舎生活ではない普通の状態では生徒にもプライベートがあり、人目に見えない部分もあるから、見える部分でおかしな動向があると、すこし踏み込んでチェックする必要があって、それは親兄弟という身近なところから、同級生、担任、学校など生徒のまわりには何重にもネットワークがあるのだから、そこでおかしな動向の警報が伝わっていけば、介入して制御ができるはずであるし、実際にそうなっているケースが多いはずである。
そのように情報が伝わらないとすると、その生徒らのいる局所的な社会に何らかのコミュニケーションの問題が内在していると考えられる。最初にニュースで大津市教育委員会の記者会見を見たときの不自然は、人が死んでいるのにまるで調査をした様子がなく、何かを隠しているように思えたので、ネットでいろいろ調べる人が急に増えたのだろう。その後の何度かの記者会見で教育委員会の発言は徐々に変わっていき、それらを総合すると事件前も後も学級や学校や警察に対して何らかの警報がでていたのに、現場では何もなかったという姿勢で情報をシャットアウトしていたことが明らかになった。
攻撃的な性癖の生徒が居たとしても、それが単独ならば今日的ないじめとはならず酒鬼薔薇某のようになるのかもしれない。今日的ないじめとは同調者がグループになることと、それに付和雷同するグループがあることだろう。例えばで考えると、加害者が3人のグループであったとしても、クラスの3分の1くらいが付和雷同していて、残りの3分の1は打つ手がないとして見ない振りして、残った3分の1が心を痛めているくらいになるだろう。しかしこの問題を多数決的に考えると付和雷同と見ない振りが3分の2になり、それが学校側になると「いじめと認識していた教師は一人も居なかった」というようにまとめられている。
アンケートには一つでも気になることがあれば調べるべきであるのに、未確認のままにされている。少数の見解は相手にしないというように、この問題を多数決的に扱うことはおかしい。例えば加害者に付和雷同と見ない振りするグループはいじめ内容に賛同しているとは限らず、加害者側と何らかの利害関係があって付和雷同せざるを得ないのかもしれない。これは地域が狭くなるほど、公害でも原発建設でも顕著になるものである。このように多数派工作さえすれば何でも通るというようになっていると、本質的な問題を見ない考えないし、それらを指摘する人を少数派として封じ込めるのが当たり前のようになってしまう。これが病根である。
だからこういった問題は通常はマスコミには到達しない。今は問題の指摘はネットに多く流れるようになったのだが、偽情報も多く流れるので、それらを峻別する何らかの方策がないと、マスコミの欠落部分はまだ補えない。