投稿日: Aug 11, 2014 12:34:10 AM
インターネッツに付き合うのが食傷気味であるという見解も増えてきた。これはインターネットへの期待が過去に膨らんだことの反動であろう。なんら新しいムーブメントが無いというのはもっともな話で、パソコン通信の始まった時から考えてもそれほどの違いはないと思う。ネットを使ってのディスカッションなどで何らかの成果があるのかどうかについては、技術とかの問題ではなく議論の相手次第である。今のところ出版文化を支えていた著者陣は、日本ではインターネッツには参入していないので、以前の紙の文化の知的水準にネットが及ばないというのは仕方がない。だからそういった大物文化人ではなく、もっと若手とか無名の論陣がインターネッツ上にできたかどうかということに焦点がいくのだろうが、冒頭の食傷気味というのは成果が無いという評価なのだろう。
かつて出版は文化のバロメーターとかいわれた。もっとも具体的には発行点数とか印刷用紙の生産量を国際比較する程度の話で、真面目に文化を計測しようとしたものではなかった。現代ではもう少し文化商品に関しての国際的な統計はとれるようになっているが、日本は圧倒的に輸入超過で、強みを発揮できるのは「日本食」くらいだろう、というのがクールジャパンの正体である。漫画・アニメなどサブカルも金額ベースで考えると大して輸出は期待されていない。総じて極端な輸入超過を是正したいというのが日本の文化産業の実態なのである。
ネットの退屈さと文化輸入超過は、一見何の関係もないように思えるが、根はひとつであろう。もう戦後70年ほどをかけて、世界の中でも日本は居心地のよい部類の社会を築いたのだが、日本の国内で議論が高まって、その結果世界を揺さぶるようにできたものは意外に少ない。家電とかモノ作りでは一世を風靡したかのように見えたが、日本のモノつくりは独り善がりな面が結構あったことが、継承発展につながらなかったといわれている。
そもそも国内で何か議論が高まって建設的な方向に進んだ例が少なく、ネットの世界でも感情的な誹謗中傷合戦になりがちである。これは個人の宗教観やイデオロギーは横に置いておいて、他者と論理的な思考を積み重ねていくことが苦手であることを表している。アメリカは2つの会社が一面ではパートナーとなり、別の面では係争するようなことが日常茶飯事であるが、これはロジックが感情を上回っているから可能なことである。
つまり日本の議論の行き詰まりは、感情がロジックを上回ってしまうことにあるのではないだろうか。記事『日本のリーダーシップに欠けるもの』では、スウィングバイの海野恵一氏のグローバルネゴシエーター養成のことを取り上げたが、日本人特有の感性に依拠したようなネットのやり取りをしていては感情的なもつれあいになるのは当然で、そういう人は相手にせずに議論できる日本人を増やしていくことが、ネットの活性化であり、国際的なコミュニケーションの向上になり、その先に文化輸出につながるのだと思う。
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