投稿日: Dec 27, 2011 12:33:35 AM
メディアは編集スキル以上にはならなのかと思う方へ
2007年の記事だが『クチコミ促進も囲い込み戦略もお任せ! 企業向けSNS構築サービスを厳選7つ』は、当時タイトルにある「囲い込み」が気に入らなくて読まなかったのだが、ちょっと気になることがあって、最近ざっと目を通した。曰く…
『まさに典型的なCGM(消費者によって作られるメディア)であり、そのコントロールが困難であることは言うまでもない。したがって、システム的な要件以上に運営者としての適性を求められる。これに呼応して、SNSに特化した構築業者や、運営サポートのみを請け負う会社も現れている。』
『匿名掲示板などでは不適切な書き込みを削除したり、アクセスをブロックしたりすればよいだけだが、SNSではそう簡単に排除作業を押し進めるわけにはいかない。なぜならば、問題のあるユーザーもSNS内の誰かの“友達”であり、その信頼関係を元に参加してもらっているからだ。相手を傷つけないような形での忠告や、自主的な書き込み訂正を促すようなコミュニケーションをとる必要がある。』
『このようなユーザー対応は、通常のウェブサイト運営と比較した場合、手間がかかるだけでなく、コミュニティ運営の経験値や高度なヒューマンスキルが求められる。』
書いている人は上田修子氏で、最近言葉遣いがヘンになってるという印象があったが、さらに何が言いたいのかわからない文章が目立つようになった。おそらく一番困惑したのは、場を提供しているブログメディアのITmedia オルタナティブ・ブログの運営者だろう。明らかに不適切な内容が書き込まれた場合は運営者が強制削除することもあるだろうが、書き手が躁鬱とかの傾向があるのかもしれない場合に、どのような手立てがとれるのだろうか? 紙の出版物のようにPublishに至る経路が長い場合には、原稿を取り下げる機会も多いが、書き手が直接Publishする場合にどうやって内容をチェックするべきか、まだ適当な方策がないのではないか。
最近のSNSは実名制をとり、また法人や商品名・ブランドなどでアカウントを取ることを制限することが多い。つまり自然人のつながりをミッションにしているわけだ。しかし自然人は必ずしも完全であるわけではない。自分の発言には責任を持つべきであるということになるのであろうが、いくら「べき」とはいっても、実際には責任を持てない人は多くいるわけで、それを制度なり利用慣習で何とかするところまでは、ソーシャルメディアは行っていないのである。
もし誰にも悪意がないとしても、場違いな発言や、読む人の理解を超える発言、勘違いなどに尾ひれがつけば、炎上ぽいことになる点では、ソーシャルメディアはコントロール不可能どころかモンスターになってしまう。韓国で自殺者が出たということもあったが、それがなぜ起こるのかという考察はまだ非常に少ない。つまり法人には自然人のような法的な権利と義務を課すことでコントロールが可能になる。不適切な法人は企業であれNPOであれ宗教法人であれ法人資格を剥奪できるからだ。しかしソーシャルメディアが作り出す集合は何かにつけ主張は行うであろうが、一切義務を負わないし、集合が責任を取ることもないからで、その構成員たる発言者に対してもどんな強制力も持たない。
きっとソーシャルメディアをウチから支えるだけではなく、外から眺める、まとめ/together 的なものの発達が必要なのだろう。