投稿日: Sep 12, 2012 1:25:23 AM
個人の自由領域を増やすべきだと思う方へ
アメリカの黒人音楽というのは、阿波踊りとかレゲエのようなリフ(繰り返し)で成り立っているものや、アドリブで録音されているものもかなりある。リズムはリフでアドリブの歌詞が乗るとか間奏にアドリブがあるというのは結構ある。これらは本人でも厳密には再現されないものの、大体の雰囲気で曲名がつけら、クレジットもある。Boogieというのも大体は同じもので、採譜とか歌詞カードは不可能なものである。しかしこういった曲でも日本人は忠実にカバーする。欧米では似たような音楽を自分名義にしてしまう。よく笑い話に、来日したミュージシャンにインタビューした際に、自分のレコーディングでちょっとリズムの取り方でつまずいたりフレーズをトチったところまでも日本人がコピーしているという話があった。
民謡やトラディショナルでは多くの派生があるが、それらはパブリックドメインになっているのでどれが本家であるか詮索されないが、レコードのように商品として現代の世に登場したものは、最初にレコードを出した人が登録し権利が与えられることが多いだろう。しかしレコードを出す前にどこかに存在しているかもしれない。特に冒頭のアドリブ的な音楽はその下敷きとなる似たものは必ず存在する。だから権利保護ができるのは人の出したレコードの完全コピーを摘発するくらいにしかならないだろう。今日の音楽の管理機構の原型は楽譜などの音楽出版だったろうと思われ、そもそも楽譜が無いような音楽を同じように扱うことが可能かどうかという疑問もある。みんなで集まって楽しむ音楽はもっと自由に使えるようになって欲しい。
黒人音楽でもレコードになるようなものは作詞作曲をオリジナルで行うものが主流であり、そこでも盗った盗られたという話はいつもある。この場合にどこの誰か知らない他のミュージシャンに盗られたというのとは別に、プロデューサが自分の名義で登録してしまったというトラブルがよくあった。これは楽曲をスタジオ録音して商品化する権限をプロデューサがもっているからで、プロデューサからするとアーチストの自作のレベルでは完成していなくて、自分がちゃんと商品にふさわしくしたのだから、と主張するのだろう。実際のところは外部からはわからないのだが、一般にアーチストの方が立場が弱くて泣き寝入りしている。
エルビスプレスリーのデビュー曲の元歌であり、45回転盤が世に出た時の最初の盤のひとつ(レコード番号が0000)である、アーサー・クルーダップのかわいそうな話が、What Was the First Rock 'n' Roll Record? にある。ここには書かれていないが、RCAビクターとの訴訟がうまくいかなかった彼は、RCAから出ていた自分のレコードの海賊版を自分で作って売るようになる。アーチストが持つべき権利をプロデューサやレコード会社が買い上げてしまうことの悲惨さは、たいていの場合にその作品はお蔵入りになって、世から抹殺されてしまうことである。これに対抗するには自分の作品の海賊版を自分で作るしかない。
JimiHendrixの場合は遺族である父親がレコード会社から息子の作品の権利を長い係争を通して取り戻して、CDのボックスセットを2回出したことがある。JimiHendrixですらお蔵入りになる作品があるのである。今の権利の扱いは、アーチスト側に薄く、会社側に厚いとしかいいようがない。