投稿日: Feb 02, 2014 11:49:42 PM
自分の足元をみる
なぜ人は日常生活になんらかの盛り上がりとかメリハリになる刺激を求めるのだろうか?昨日と同じ様な今日の暮らし方では満足しないのか? などと考えさせられるのが、この季節の「恵方巻き」とかいう食い物である。私の親戚は大阪から神戸の範囲に限られるのだが、子供のころから「恵方巻き」などというものを親戚がしているのを見たことはないし、家でも食べたこともない。巻き寿司そのものは今のコンビニのおにぎりと同じくらいにポピュラーなものであったが、それを縁起とか特別な意味を持たせて食べることはなかった。
これは前世紀の終わりにコンビニが発明したものだといわれていて、これでいくらかの売り上げ増にはなるのだろうが、それよりも話題を作り出すことの効用の方がメリットが大きいかもしれない。それはコンビニなどが日常のルーティンな買い回り行為に娯楽性を持たせるということだろう。
聖バレンタインが知らないところでチョコレートの販促の片棒をかつがされているように、「恵方巻き」も廃れた風習が発掘されて使われているのだと思ったが、関西にこれを知っている人があまりいないし、こういうことだろうという人も良い風習であるとは言わない(むしろ花柳界の遊びとかマイナス面が大きい)。あえてこのような風習を発掘する理由はなんだろうか?
この季節だと節分の豆まきというのがあるのだが、昔と生活形態が変わってしまって、今のマンション暮らしでは豆を外に撒くことはできないし、内に撒くことも難しい。昔の室内は部屋の中の家具は少なく、畳しきなので、撒かれた豆を拾って食べやすいが、今はそんなことができなくなっている。外に撒いた豆も昔は家畜の餌になったかもしれないが、今は無意味である。
そこで今の住宅の室内でも容易にできる形で福を呼ぶようなイベントとして担ぎ出されたのが「恵方巻き」だったのではないか。
元来根なし草的な「恵方巻き」の習慣が今後どの程度継続するのかはわからない。世界が狭くなっているから、インドネシアとかトルコから新たな面白い習慣が輸入されて取って代わられるかもしれない。まあ何処のいつの時代の習慣でもいいから、日常生活に盛り上がりがあればよいのだろう。しかしそれならば外部から習慣をもちこまなくても、家族の誕生日や個人的な祝い事で家庭内イベントをする方がよいのではないだろうか?
家族の関係が希薄になった分を商業的なイベントで埋め合わせて気を紛らわせるのは本末転倒のような気がする。