投稿日: Oct 15, 2009 6:11:22 AM
すべてが小さいガジェットに収斂すると思う方へ
ケータイのメールは苦手だ。日本語ワープロの黎明期から日本語入力がスムースにできたらいいなと考えていたことからすると、ケータイの入力は悪夢に思えた。この不便さが予測変換を発達させたわけで、その延長上にケータイ小説も生まれた。では今後文章の書き手がどんどん親指派になっていくと予測できるだろうか? ケータイの入力方法が他の文字入力方法よりも優れているならば、その可能性もあるだろうが、この先さらにケータイ文字入力を発展させるようにも思えない。
むしろケータイで発達した予測変換が、デスクトップ用なり業務ツールに利用されていくかもしれないが、ケータイが業務ツールに取って代わることはないだろう。人がケータイを使っている時は消費者視点になっているが、プロは生産者視点に戻って考えることも必要だ。
利用者数が多いスマートフォンは大きな投資対象なので、もっともっと便利になるであろう。そこには人の眼をひきつけるものがいくつもでてくるであろう。たまたまモバイルが先行することになっても、技術はそこに留まることはない。不便な状況が便利なものを考案させるのだが、便利さは自由に他に波及していく。そこで必ずしも不便なものが優位に立つとも言えない。
このことを通して考えられるのは、ケータイの「小さい」という特徴が本来的にもつ制約がなくなるわけではなく、もしそこに入力以外でもストレスがずっとつきまとうならば、情報デバイスとしてのケータイの相対的な位置がそれほど向上することもないだろう、ということだ。
(ストレスのなさは、スレートコンピューティングのウリとなり、そこが発達するだろう)