投稿日: Aug 09, 2014 1:45:4 AM
イカ天にはオーディセンスと審査委員の間に乖離がずっとあったことを思い出した。ノリ重視かオリジナル重視かである。
私が中学生の頃はロックンロールをやっていますというバンドは必ずチャックベリーの Johnny B Good をレパートリーにしていた。ライブの必須アイテムであった。しかし彼らの中からレコーディングの機会を得た人たちで Johnny B Good を録音してレコードで出した人は殆どいない。レコードで聞くならオリジナルなり海外のカバーなり、もっといいレコードが売られているからだろう。ここではライブではカバー曲がかなり重要ではあるが、レコードではオリジナリティが重要ということがわかる。これは知財権処理にも関係している。
さてデジタル・ネットの時代になって、ライブも録音されてYouTubeにアップされたり、コピーして流布される時代になったら事情は変わってしまうかもしれない。その話は別の機会に考えたいと思う。
レコードという出版物が流通していた時代のことを振り返ると、冒頭の傾向は新曲を世に出すことを促進していた。実際にチャックベリーのように独自のスタイルを作り出した人の完全コピーのようなレコードを作った黒人は非常に稀で、数人もいないかもしれない。
しかし非常に多くの白人の若者は完全コピーに励んでいた。記事『ロックの継承?』ではキースリチャードのことを書いたが、黒人達はステージ上でギターバトルをして、相手の演奏を完全にコピーして、さらにそれを上回る何かを足すような合戦をしていた時期が1950年代中ごろから1960年頃まであった。その時にギターという楽器が異常に注目されるようになったのだと思うが、長くは続かず、1960年代半ばにはギター中心の音楽は黒人の世界では廃れていく。
このギターを中心にした音楽のルーツはBluesであるのだが、Bluesが盛んだった1950年代中期までにおいても、マディウォーターズ、ジョンリーフッカー、ライトニンホプキンスのような独自スタイルを持ったBluesの巨人を完全コピーしたレコードの存在は非常に稀で、レコードはオリジナルの発表の場としてあった。
しかしやはりライブではみんなカバーしあっていたようで、後に海外公演でも余興として再現してくれたりした。
レコードの歴史としてみると、トラディショナルのようなカバーばかりのジャンルは録音が後回しになっていたようで、第2次大戦前のBluesよりも戦後のBluesやR&Bの方が黒人のトラディショナルな音楽が反映しているという逆転現象も起こった。だから古いレコードの方が音楽の源流を表していると考えるのは間違いで、むしろそれぞれの時代のソフィスティケイトされた音楽がレコードとして残ったと考えるべきである。
一方でライブはその時々の音楽シーンの盛り上がりを反映するものといえるだろう。だから一応は別の世界であるともいえるのだが、ライブの競争が過熱していけば、独自性を競うようになって、新たな音楽が生まれていくことにつながるのではないかと思う。ライブに竿をさすことは音楽シーンにとってはマイナスしかない。
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