投稿日: Mar 26, 2015 2:3:24 AM
日本ではフェルメールの人気が高い。なんとなく絵に空気のさわやか感とかスッキリ感があるからなのかと思う。このフェルメールが再評価されるようになったのは20世紀になってからで、それまでは忘れられていた時期があった。その時代時代において評価の高まる対象が変わるということはよくある。逆に高い評価がされていた作風が、ある時を境にすっかり廃れてしまうこともある。これらから考えられることは、作品そのものにだけに評価の要素があるのではなく、時代とのマッチングが評価を産み出すことになる。
作品と、それが見られる場のマッチング、というテーマは、コンテンツのマーケティングともいえる。これは時代という大くくりなものから、地域で共有されている価値観とか、もっと狭い内輪ウケ的なものまで、さまざまなものが混じっている。フェルメールの場合は、なぜ20世紀になってマッチングができたかというと、人々が写真に馴染むようになったからだと言われている。写真は人間の眼と違って単眼であるので、遠近法のすっきりした構図になる。フェルメールもカメラオブスキュラを使った下絵に描いているらしく、それが写真構図になれた現代人に親しみやすい絵になったひとつの理由でもあっただろう。
今日では、ネットで時々、「まるで写真のような…」という絵が話題になることがあるが、このからくりは単純である。つまりそこでは絵の才能とはちょっと違った要素が支配しているといえる。極論すれば写真を元絵として模写すれば、まるで写真のような絵はできてしまう。高校生の頃に小さなカメラオブスキュラを手作りして写真を拡大して模写してみたことがあるが、写真に似せてもあまり面白くはなかった。この場合は写真の良しあしに左右されてしまうからだ。しかしこういうテクニックを身に着けていけば、自分の目で見た対象物も写真のように表現できるようになるかもしれない。
例えあるアーチストが写真風作風にのめり込んでいっても、描いているうちに写真のことは忘れて次第に自分流の作風になっていくであろう。写真を参照して油絵を描くことは写真の登場時からモデルさんをまず撮影するとかして行われていたことだが、油絵そのものが写真に支配されるものではなかった。写真の模写も同様なものだと思う。
これとネットでウケを狙ってまるで写真のような…」作例を投稿することは別途の用途で、昔でいえば縁日などで大道の絵師がやっていたものに近いように思う。毛筆でコート紙状のものに一筆で龍を描くような見世物があったことを思い出す。こういうことをしていてはウケやすい限られた題材を描くだけで絵の修行にはならないから、いつまでも大道芸で食べていくしかない。
しかし今日のネットの時代には、絵の修業を積んで専門家の評価の高い作品を残すよりも、大道芸レベルで世界の『いいね』を集めて有名になることの方が手っ取り早いかもしれない。
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