投稿日: Jan 21, 2014 1:14:24 AM
国民とは?
奄美大島のCATVの話を『UGCの時代』で書いたが、最も印象深かったのは小中合わせて6人の学校のことで、学校全体が丸で一家族のようなものだから、羨ましくもあり、どうやって日々の授業をしているのかと不安でもあった。日本各地におびただしく休耕地があり、限界集落があるという現状は、考え方によっては自然とともに暮らすことのできる資産がいっぱいあるということにもなる。しかし若い人達がそのようなところに移り住んで自給自足に毛が生えたような暮らしをする場合に、子育てが最も難問になるだろう。
アメリカの場合は開拓史の伝統があるので、親が子供を教えても所定の試験が通れば義務教育の代わりにできるし、フリースクールという学校ではないが学校みたいなものの開設も割りと自由である。日本でも不登校の子供たちを対象にしたフリースクールは増えつつあると思う。
これらは一律の義務教育から外れてしまった人たちに対する代替教育手段であるが、地域の問題や病気・怪我や、いろんな理由で義務教育以外の教育を必要とする人は今後もなくならないだろう。また世界に日本人が出て行く場合に、現地の学校に通うにしても、日本に戻ってくる時の事を考えると、日本の義務教育に相当することも身に着けておきたいと思うだろう。ざっと考えると何十万人の日本人が塾のような規模であったり家庭内で教育できることを望んでいるのではないかと思う。
現在のオンラインを使った授業というのは進学塾の受験競争用や資格取得ための特別な内容のものが多いが、むしろ格差ができてしまいそうな対象に対して是正するための手段としてオンラインの授業補助や教材提供や指導ができるようにする必要があると思う。それは冒頭のようなニーズが実際にあるからだし、これからの日本人のライフスタイル(海外とか自然に溶け込んだ暮らしなど)の多様性のためにも重要なことだろう。
つまり小中の義務教育教材や認証に必要なテストはすべてネットでタダで手に入るようにインフラ化してしまうことが第1で、それに必要な権利処理を文科省とか国などがしてくれればよい。それをベースにしていろんな課題ごとの教育ソリューションを民間で工夫して作っていくことになる。それらもネットでシェアしあって、地域を越えたコラボレーションが可能な時代である。昔、学校の間で姉妹校の提携をして、何かの折りに訪問するとか、ビデオレターを交換するというのがあったが、ネットならもっと簡単に交流ができる。そういったことを活発にしていけば、マスコミで都市の話題が中心に流されて人口も集中してしまったことの歯止めにもなるかもしれない。
日本は都市さえ栄えればよいという考え方は脱却しなければならないのではないか?