投稿日: Feb 20, 2014 3:41:41 AM
廃棄する機器があったので、チップセットといわれるLSIのフタを開けてみた。写真の左が元の姿で、基部になっている濃い緑の正方形の板は配線の塊になっている。そこからプリント基板上では上方にあるCPUに100本ほど、右方向にあるメモリにやはり100本ほどの配線が伸びている。それ以外にも100本ほどはでているようにみえる。
写真右の右側はVIAと書いてある八角の黒い基板を引きはがしてひっくり返したところで、真ん中の鏡のようなのがシリコンの裏面になる。この黒い八角の板も配線の塊で、シリコンの表面にやはり200-300の半田バンプがあって、そこから円環上に配線がされていると思える。濃い緑の正方形の方も円環上のものが見えるが、この円環で両者はつながっている。これはだいたい1mmに3-4本ほどの密度で接点が並んでいる。
今の電子機器のプリント基板はCADで設計するし、半田はフローでつけるので、昔のように女工さんが大勢並んで半田付などする工場ではなく、半田付はごく一部分になった。1970年代後半から手作りマイコンのブームがあった頃は、ICたLSIのピンの間隔は1cmに4本くらいだったのと比べると、今の電子部品の実装は一桁上がったことになるし、それ以上に内部の回路の高密度化があって、タブレットやスマホのようなものが登場したわけだ。
しかしこういった高密度化のおかげで手作りできる余地は非常に少なくなってしまった気がする。1mmに3-4本の配線の修理をしたことはあるが、余計なところまで半田がくっついてしまい難儀な作業で、二度としたくないと思った。私もかつて手作りマイコンはやったことがあるものの、その後は次第に自作から遠のいて修理屋になってしまった。電子部品がこのようになると、工学部ではどのようにして実験を行っているのかと思う。いちいちCADでプリント基板を起こしていたら臨機応変には対処できないはずだからだ。
手作りマイコンは確かはんだ付けが1000か所くらいだったかと思う。その昔、戦後TV放送が始まった時にはTVの組立キットというのが売られていて、半田付けに自身のある人は安くTVを手に入れられた。私のおじさんがそれをしていて、確か部品数が1000もなかったように思う。マイコン制作もそれなりに多くの人が携わったはずだし、TVキットも全国的に売れたと思え、1000くらいの半田付けならかなり広範に取り組む人は居そうだ。
私は中学校の時に6球スーパーラジオのキットを組み立てたことがある。キットだからほぼ間違いなく動くのだが、それでも完成した時には大変な達成感があり、そのことがその後に影響したことは大だと思う。若者に手作りのチャレンジ目標が適切に与えられる必要があるのではないだろうか。ちなみにこの冒頭の機器では、日本製の部品はコンデンサしかなかったのが実態である。
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