投稿日: May 21, 2013 2:6:52 AM
日本はどこで頑張るべきかと思う方へ
パソコンは将来とも無くならないと思うが、デバイスとしては便所や風呂場のように面白みの感じられないものになりつつある。つまり必要性と人の心を動かすというのは別の次元のものである。パソコンパーツは蛇口やパッキングやレバーのようなものであり、それに興味を持つ人は特定のマニアである。コモディティ化が進み、誰でも買えるようになると、きっとそうなるだろうと思われたことが現実になった。
それでも必要性があって買う際には、ちょっとおしゃれなものを求めるか、用が足りれば何でもよいかというくらいの差はある。そんなところがWindowsを買うかMacを買うかの選択であったのだろう。それが今タブレットというコンピュータにも来ていて、目的がはっきりしていれば安いAndroidでもよいという人と、なんとなく期待感が高くてiPadを選択する人がいるという、緩やかな棲み分けになっていると思う。そしてかつてのパソコン比較のようにスペックを比べる人は殆どいないだろう。
iPodに関してもこだわりは減ってしまったようだ。どうもAppleブランドを身につけようという熱心な信者は知人の中でも減っていて、Appleにおいてもデバイスの興味は下がっていると思える。PCの落日とか、Windowsの落日、といったビジネスの下降だけではなく、パソコンの伸びにぶら下がって商売していた分野がすべて飽和に近づきつつある。つまりかつてはアナログ情報をデジタル化することに価値が出て、それを交換可能にするネット化さらに価値が増大するという流れでIT産業はビジネスの手を広げてきた。この勢いは一段落しつつあるのではないか。
これらはやり難かったことがやり易くなるというところに価値があったのが、デジタルもネットもコモディティ化すると、こういったプロセスの価値はあまり問題ではなくなり、今のサーバ業やクラウド業のようにスケールメリットとか価格競争になってしまって、ベンチャーの出番は非常に少なくなってしまうのではないだろうか。実際には日本はまだeJapanには程遠いようにやるべきことは山済みなのだが、その方法は新たに開発すべきものはあまりなく、あとは決断と運営があるのみなので、それほど専門家の商売のネタがあるわけではないだろう。
日本のINS(高度情報化)を手本にしたところもあるアメリカの情報ハイウェイであったが、昨今のクラウドにおけるアメリカの優位を考えると上記のような普及過程のビジネスだけでなく、普及したあかつきに何処がビジネスに成るのかという点も、情報ハイウェイの中では織り込み済みだったということだろう。